'10読書日記49冊目 『ハイデガー『存在と時間』の構築』木田元

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

250p
総計14702p
ハイデガーまるっと早分かり!『存在と時間』は全く未完成な哲学書である。第一部第二編までしか刊行されておらず、予告されていた第一部第三編〜第二部は刊行されないままだ。この未完の部分を、後のハイデガーの著作などを紐解きながら、再構成しようとしたもの。
ハイデガー研究者ではないため、この本のレベルがどの程度の専門性を備えているのかは判別しかねるが、初学者あるいは『存在と時間』を通読した経験を持つ人にとっては、ハイデガー理解を深めるものであろう。何より、大切なことが何度も明確に書かれているし、分かりやすい。ハイデガーだけではなく、当時の思想状況にも触れられており、読み応えは十分だと思う。
特に、本書第三章「『存在と時間』第二部の再構築」は、ハイデガーのDestruktion=解体作業を中心に取り上げていて本書の白眉となっている。西洋形而上学の歴史は、存在概念を、本質存在/事実存在という二分法のもとに捉え、前者の先導によって後者が引き出されるということを裏書してきた。それは端的に製作のモティーフによって考案されたものだ。つまり、製作者の頭の中にあるイデア(本質)をもとに、手が質料に加えられ、存在者(事実存在)が現前する、というようなことなのである。存在=現前性=被制作性。こうした構築-建築モデルで思考される存在を、解体Destruktionしようとするのが、ハイデガーの試みだったのである。それは、すなわち、プラトンアリストテレスによって中心概念とされた「存在とは何か?」という問い、そして事実存在に優越する本質存在という<哲学史>の問い直しにほかならない。問題は、存在概念が、いかにして・なぜ、事実存在/本質存在モデル、制作モデルによって包摂されてしまうようになったのか、それ以前のもの、忘却に沈んだ別様な存在概念とはどんな風か、ということに焦点化されるのだ。