10'読書日記56冊目 『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』ミシェル・フーコー

快楽の活用 (性の歴史)

快楽の活用 (性の歴史)

331p
総計17210p
全く不思議な本である。『知への意志』の八年後、大幅な研究計画の転換をもって書されたこの本は、実にフーコーがどこへ行こうとしているのかを伝えるべきものであるはずでありながら、まったくフーコー自身の姿は見えない。いや、本当は見えているはずである。最終章「真の恋」において。そこではプラトン批判がなされている。エロースが、快楽の活用というエコノミーにおいて把握された問題構成から、エロースが存在の真理の探究へと移行していく過程を丹念に追った最終章。様々な古代ギリシアの逸話がつぎつぎに繰り出され、しかもそれらはフーコーの「戦争」的な語句でもって語られており、全く興味深い。
しかし、僕が真に困惑し・かつ・感動せざるを得なかったのは本書の序文である。

はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ。〔…〕哲学――哲学の活動、という意味での――が思索の思索自体への批判作業でないとすれば、今日、哲学とはいったい何であろう? 〔…〕《試み》――それは真理のゲームのなかでの自己自身の変化を目指す試練、と言う意味でなければならずコミュニケーションを目指して他者をあまりにも単純化したやり方で専有する、という意味に理解してはならないのだ――こそは、哲学の生ける本体なのである。