2010年・ヨーロッパへの旅(5)

21日
パリ二日目の朝。パリのホテルの朝食は、ベルギーのホテルに比べれば相当貧弱。パンとジャム、チーズ、ゆで卵くらいの素朴で安い感じ(しかもゆで卵はゆで時間が足りてなくていい具合の半熟卵になってたw)。ともかく朝ごはんを食べて、この日はバスティーユに向かう。ここから革命が始まったのね!とかなんとか戯言を言いながら、雲量ゼロの快晴。天候に恵まれていて嬉しかった。

バスティーユから西へ大通りを歩いて行き、同伴者と別れ、僕はポンピドゥー・センターへ向かう。観光ガイドには大きく取り上げられていないが、フランスのハイカルチャー・ローカルチャーを含めた文化のアルシーヴがあるのだ。工事中であるかのようにパイプや鉄筋がむき出しのセンターが見えてきて、気体と興奮も高まる。オルセーに行こうか、ポンピドゥーにしようか迷った挙句、現代に近い後者を選んだのだ。わくわく。

がしかし、この日はなんとあいにくの閉館日。なんということだ。しばしセンターの前で呆然とするも、相方との待ち合わせ時間までまだ余裕があったので気を取り直し、セーヌを渡ってノートルダム寺院へ。観光客激増。


もはや大寺院を見てもあまり感慨が湧かないくらい、パリのいたるところに歴史的な教会が無数にあって、その点京都と一緒。ありすぎるとありがたみがなくなるのだ(もちろん見る人が見たら、それらの文化的な差異は明瞭に分かるのだろうが…)。さらにセーヌをわたって、前日ちらっと訪れたカルチェ・ラタンまで足を伸ばす。コレージュ・ド・フランスが開いていないか、と思ったのだ。カルチェ・ラタンにはソルボンヌ大学のほか、高等師範学校もあり、平日のお昼には学生らしき連中がたくさんいた。偶然コレージュの通りで見つけた古本屋に立ち寄ってみる。

なかなか良い感じの古本屋。京都の大学の近くの古本屋街を思い出しもした。京都の古本屋はどことなくかび臭い感じだったが、こちらは明るい通りに面していて、しかも中々古典的な名著が揃っている。もちろんフランス語を読まない僕には無縁の本ばかりなのだが、やはり記念に、ということでたまたま発見したフーコー『知への意志』を衝動買い。10ユーロだから、まあまあ。いすとわーる・で・ら・せくしゅありて☆
相方と落ち合い、再びポンピドゥーの前の広場へ。そこで、ジャズ・ピアノを演奏している人がいたのだ。それを聞きながらしばし休憩。連日の歩き回りに加えて、ポンピドゥー閉館日の精神的ショックで相当疲れている。陽光の中でピアノを引くのは楽しいだろうね。再起し、今度はお土産探し。付近のおしゃれエリアをぶらぶらし、さらにプランタン百貨店へ。紅茶とかお菓子などをお土産にする。この時点で二人の疲労はピーク。空腹もあって、やけっぱちに日本料理を食べてやろうかと意気込むも近くには無く、しゃーなしで中華料理を食べる。そこそこだったが、なんとなく癒される。焼きそばと炒飯と酢豚。いったんお土産を置きにホテルへ帰り、休憩。もはや疲れきっていて外に出たくない気分だったが、それはもったいないと夜のパリへ再び。結果的にこれが良かった。
疲れているとはいえ、僕らは歩く。まずはムーランルージュまで。モンマルトルのエリアに入ると、一気にいかがわしい店が増える。ストリップ、セックスショップetc。オランダのRed Light District(飾り窓地区)はもっと過激で、おっぱいぼろーんのお姉ちゃんが、ガラス越しに客を誘惑していたが、こっちは客引きのお兄ちゃんが多い。ムーランルージュはもっと大きな風車なのかと思いきや、そんなに。家族連れでここに観光に来る人が一杯いたが、おいおいと思った(苦笑)

そこから地下鉄に乗り、まずは夜の凱旋門。ライトアップされていて人通りも多い。シャンゼリゼ通りはまだ眠らない。ここから僕らの若さの本領発揮。歩いてエッフェル塔まで行った。一目見た瞬間、感動した。中秋の名月がちょうど塔の左側にあり、パリの高いビルの無い街並みに塔がそびえ立っている。圧巻だった。パリの街の空の夜の暗さが、エッフェルの光を際立たせる。

言葉もなく見とれている。観光客もそう。これは見にきてよかった。最高にロマンティックだ。と感動していると、またしても空腹なのに気付く。パリ最後の夜をどこで過ごすのか問題発生である。結局、昼間に行ったバスティーユ〜マレー地区のおしゃれ通りのカフェに行くことに。地下鉄を乗り継ぎたどり着く。philosopheというカフェ。少し格式ばっていて高価だったが、ビールとディナーを楽しみ、パリの夜は更けていった。