2-21

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昼ごろ起きる。夕方祇園の「かね正」で錦糸丼1200円を食べる。うな丼に錦糸卵がたっぷり。久しぶりにおいしい鰻を食べて非常に満足。郵便局の隣の鰻の寝床をずんずんと進んだところにぽっと現れるお店。思ったのとは違って非常に清潔できれいな店内。のあと、タリーズで読書。深夜、飲み会。Hの友達のところにまねかれて飲む。みんなとても気さくでフレンドリー、しかも音楽やら文学のことに詳しくて面白い人たちばかりであった。半分誕生日パーティーみたい。色んな人に祝われるのはうれしいことやんな。おいしいワインもいっぱい飲んだ(が荒れることなく終わってよかった)し、非常に満足。5時ごろ一緒に帰宅。
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昼前に出る。新幹線で東京へ。バイト。夜、友達が来る。すぐに寝る。
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バイト。私立の入試も最終段階。早稲田の英語を教える。パラグラフリーディングを教えないのはどうしてなのだろうか。教える人材がいないからか。教えたい。
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バイト。タルコフスキー『ストーカー』を見る。今まで見た映画の中でも断トツで不思議で難しい映画だったけれど、155分という長さにもかかわらずぐいぐい引き込まれて観てしまった。単色とフルカラーのコントラストや使われている音楽も一流。象徴主義みたいなのはあんまり好きじゃないかもと思っていたが、そんなことはないな。
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朝、失敗してタクシーで新宿。バスで京都。15時ごろ着く。夕方落ちあって、コーヒー飲んだり。カントの「理論と実践」を読み返す。だいぶ面白く読めるようになっていて、それが面白くて勉強はやめられないんだろう。カントがどうして革命権・抵抗権を認めようとしないのか、という問いは、おそらく一般的にはカントの法への傾倒というところから説明されるのだろう。つまり、カントは原始契約においてある種の理念(ルソーでいう一般意思)が実現され、社会の成員に自由の権利が与えられると考えているがゆえに、いかに統治者が腐敗した支配を行ったとしても、その原理秩序を破壊するような革命・抵抗は認められないのだ。しかし、おそらくそのような読みよりも、シュミットの例外状態と比較することでカントの困難が明らかになるような気がする。つまり、民主主義ないしは法支配的共和主義のアンチノミー。夜は王将で。
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朝からHはばたばた。昼ごろスタジオへ出ていく。その間に僕は鹿児島行の飛行機を予約したり、洗濯物を処理したり、レポートを出しに京大まで行ったり。京大は相も変わらず工事ばっかり。それを除けばすごくいい大学の雰囲気が出ていると思うのに。夜、イーストウッドの新作『ヒアアフター』を。不思議な映画で、良く分からないし、大傑作と言い切る自信はほとほとないけれど、どうしてか手放せない基調で撮られている映画。ちょっとしたユーモアも楽しいし、なにより死後の世界という不穏な空気の中、その不穏さは全く現れずにしかし生の勇気みたいなものとは違った、陳腐な表現をすれば未来志向の映画。のあとまちかどやでチキン南蛮。Hは今は眠っている。