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無気力な日々は続く。退廃的な生活を送ったことがないし、人生で一度くらい何もかもやるべきことを放擲してやろうかしらとも思うのだが、そのためには当然バイトも止めねばならず、その決心にはなかなか至らないのだ。退廃的あるいは無頼派的になるにも勇気がいる。快楽主義者にしても、勇気がいるのではないだろうか。瞬間瞬間の快楽を享受するためには、資金も当然必要であろうし、その資金を稼ぐことの苦痛と無為を享受することと、天秤にかけねばならんだろう。いやはや、何をするにも困難な時代である。
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17時からルーマソ読書会。「近代の観察」を読んだ。僕はかつて一瞬だけハーバーマシアンであったから、ルーマソを彼の色眼鏡(しかもかなり度がきつい奴)で見てしまっていた。結論を言えば、ハーバーマスのメガネ粉砕しれ、これに尽きる。20時までで大学の建物が使えなくなり、しかたなくルーシーで続き。この日だけで一生分の「システム」って言ったと思う。フーコーとルーマソの関係とか誰か分かりやすく教えてくれるのを期待。
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バイト。特筆すべきことなし。
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六本木の国立新美術館で「シュルレアリスム」展を見に行く。ポンピドゥーセンターの所蔵品で、去年フランスに行ったときには閉館していたのでそのリベンジ。多数の展示があり、じっくり見て回ったので疲れた。やっぱりマグリットは素晴らしい。シュルレアリスムの運動と、バタイユらの神秘主義の運動とはかかわりがあったのかとも思ったり。14:30頃、展覧の最後のほうを見ているときに、地震が襲う。震度5強。立っていられぬほどの揺れがしばらく続き、恐ろしかった。美術館の職員の誘導で外に非難する。この時点では、宮城県があれほどの悲惨な状況にあるとはつゆも思わず。不安ではあったが、大都会の人々が働いている人も含めて非難のために屋外に出て群れている様子は、「無為の共同体」を想起させた。やるべき事どもが中断され、意味もなく広場に集まっているだけの人々。とはいえ、これほどまでの揺れは初めてで、電車も地下鉄も止まっている中、六本木から歩いて家まで帰る。およそ10kmくらい。にしても人々が、懸命にぞろぞろと甲州街道を行進していく様子は何かぐっと来るものがあった。なれない土地で、非常に不安だった。夜も余震が続き、何も手に取れない。
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昼からバイト。生徒とも地震の話。原発が心配。夜に新宿から岸和田へ夜行バスで。
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朝に実家に到着。死者1万人を超えるとも伝えられ、本当に恐ろしいことがおこっていると実感する。多分、関西以東の人たちはあまり実感がないのではないか。激しい揺れを体験すると、いわく言いがたい不安は、関西にいても持続している。ここにいたら安心だという感じは、もてない。