何度でも、何度でも

人生のうちで何度も、何度でも見返す映画や、読み返す本があると、幸せだとおもうんです。
僕の場合、何度も何度も見返した映画というのがあって、それは『魔女の宅急便』であり、『耳をすませば』であり、『ベルリン、天使の詩』や『パリ、テキサス』です。何回見ても同じところで感極まって、泣いちゃうんですが、いつも自分の人生の指針を教えてくれるような気がします。
魔女の宅急便でいうと、最後、キキが街角のおじさんのデッキブラシを奪って、死に物狂いで飛ぼうとするところを見るたびに、泣けてきます。そんなセンチメンタルな自分が好き☆
いつまでも成長しない自分に嫌気がさすことがあります。成長とか甘ったるく語ることは好きではないけれど、いつもの自分とは違う自分になること、そういう気分が常態で、しかしいつまでも変わることができないでいる、そういう自分が大好きで、同時に大嫌いなのです。
友人が僕に、よく言ってくれた言葉。
「死にたい奴には死ねと言いたい」
僕はそれをある種の優しさだと受けとめたい。冷たさではなく、優しさ。そのように勘違いしたい。
昨日の晩は、『パリ、テキサス』を見返してやっぱり泣いてしまいました。自分が好きな音楽とか映画とか本とかを人に薦めることは、僕にとっては勇気がいることなのですが、やっぱり僕の愛すべき友人たちに見てもらいたい、共感を得たいという気持ちなのです(往々にしてそういう共感は得られないのですけれど)。
自分に真面目になること。自分に真摯に向き合うこと。就活してる人たちは、否が応でも自分に向きあって、自分が出来る範囲で頑張るよりほかはない。父親のクレジットカードで遊び呆けて好き放題できるわけではないから、とにかく、自分に誠実に向き合うほかはない。そのように自分に向き合うことは、苦痛でもあるのだけれど、その苦痛をいとおしみたい。自分から逃げつつも、自分と向き合うこと。
なんとなく、いつもの自分とは違うマイナスな感情を持ったときに、僕は上の映画や本を見返します。いつでもどんなときでも、映画や本は僕を救ってくれた。そのような確信があります。
できるなら、僕も他の人達にそのような思いを味わってほしい。僕にはそういう野心というか夢があります。中二病なんていう言葉で片付けないでほしい。自分の感情を信じて、そこに真面目になること。
果たして言葉は、慰めになるでしょうか。映像は、あなたを癒すでしょうか。慰めや癒しは、言葉や映像に求められないのでしょうか。僕はそうは思いません。いや、むしろ僕はそこに賭けるしかないように感じています。
なのに、僕はそこへ向けて努力していない。怠惰な日々を送っている。分かっているのにやめられないというのは、事実最悪の事態です。分かっているなら、今すぐにでも動き出せばいい。自分に臆病に保身するのではなくて、違う自分になるのを恐れるのではなくて。自戒。