how can i be sure?

・僕はまだジョン・レノンオノ・ヨーコのような関係に憧れていたのだろうか。一緒の音楽を聞き、一緒の映画を見、一緒の本を読み、お互いが語れる言葉で語り合うことが素敵であると、そのような夢見ごちたことを、いまだなお。
・映画『ブエノスアイレス』がとても良かったと知り合いから電話がかかってくる。そう言えばDVDを貸していたのだった。ピアソラの音楽が素晴らしく、エンディングでかかるFrank Zappaバージョンの乱暴に歌われたHappy Togetherも。
・愛について語るときに、愛を直接語るのではなく、愛を換喩的に語ること。
吉野弘が、「鍋底の穴の開いた修理」という鋳掛屋の日本語的におかしな宣伝文句を聞いたときのことを書いていた。文法秩序としては破格であるが、修理したはずなのに穴が開きっぱなし、あるいは、穴が開いていることが修理なのだということ、そのような超現実的なイメージは、詩的である。「穴の開いた」も「修理」も日常的な意味が脱臼され宙吊りにされ、不可解で新鮮なイメージが与えられる。詩の異化作用とはこれを言うのだろう。しかし、さらに吉野は、この「穴の開いた修理」とは、「時が癒す人の傷」のことを言っているのではないか、と続ける。人の傷は「時が癒してくれる」と陳腐に語られるが、本当に人の(もちろん外傷ではなく心理的な)傷は時間が経てば癒されるのだろうか。ただその傷の存在をもう気にしなくなるとか忘れるとか、その程度のことなのであって、時が癒すとしても表面的なことではなかろうか。時間の経過に癒される人の傷とは、それゆえ、穴の開いた修理と同じなのだ。癒されたとしても傷そのものはまだぱっくりと開いている。

How can I be sure
In a world that's constantly changin'?
How can I be sure
Where I stand with you?

too good to be true...