TAIFU


台風二号が近付いているからというわけではないが、朝もはよからフジファブリックのTAIFUを聴いていた。このイントロの爆発力を思い出すと、そしてもうそれを聞くことはないのだと思うと悲しすぎる。とりたてて歌がうまい訳でもないけれど、ギリギリ狂気一歩手前という感じの志村が好きだった。2009年以来僕はフェスにも行ってないし、フジファブリックを聞くこともあまりなくなっていた。これから志村が書く新しい音楽を聞くこともないのだと思うと、つくづく腹立たしい。ライブでモッシュピットの中で死に物狂いで叫びまわって、タイトな(とは言い難いがタイトっぽい)カッティングで跳ねあがる。テンションの極めて高い曲が連打され(TAIFUから銀河、からのサーファーキングとか)こちらのテンションもピークを迎える。曲の中にあるふとした休符、少しの余韻に、汗まみれで息も上がり息苦しいモッシュ状態から少しでも新しい空気を吸おうと上を見上げる、その一瞬に泣き叫んでしまいそうになったことを思い出す。もうすぐ涙が出るかもしれない、しかも理由もなく、という瞬間を、このバンドのライブ中に何回か味わった。泣いてしまうかもしれないという瞬間、しかし、それはすぐにバンドが爆音で鳴らす音にかき消されてしまう。
TAIFUには、TAIFUという言葉がただの一言も出てこないのだということに気付いた。それなのにTAIFUはまったくTAIFUであることを伝えている。この世の中には二種類の人間がいる。TAIFUで涙する人間か、そうでない人間かだ。もちろんTAIFUは青春の闇雲な爆走のメタファーだ。僕がこれを聞いていつも思うのは、真夜中、暴風雨の中を自転車で傘もささずに疾走するということ。鴨川べりを雨の中爆走したということを思い出す。抑えようもない自尊心と自分には何かができるはずだ/しなければならないという無闇な焦燥感が、爆発するのは真夜中であるはずだ。

想像に乗ってゆけ もっと足早に先へ進め
放送のやってないラジオを切ったら そのまま行け
虹色 赤色 黒色 白
皆染まっているかのよう

しかし、TAIFUには暴風雨だけがあるわけではない。その目の中に入る瞬間がある。そこには不安で不気味な緊張感を伴った静けさがある。青春の疾走には不安がつきものだ。自らが何処へ行くのか、このまま当てもなく走って行っていいのか。しかし、そこで足を止めてはいけない。不安の中で、初期衝動を奮い立たせないといけない。それは、しかし、次の嵐を待ち望む静謐で怒りにも近い感情だ。

感情の赴いたままに どうなってしまってもいいさ
感情の赴いたままに どうなってしまってもいいさ
感情の赴いたままに どうなってしまってもいいさ

朝から、訳もわからず、フジファブリックのTAIFUを聞いて、どうしようもない気分になり、長々とレビューというか、まつわる文章を書く。もう10回くらいTAIFUがリピートされている。ビールの缶を開けた。シンセサイザーの音が駆り立てる。何に? 何かに。