'11読書日記40冊目 『太陽がいっぱい』パトリシア・ハイスミス

太陽がいっぱい (河出文庫)

太陽がいっぱい (河出文庫)

411p
12836p
もちろんアラン・ドロン主演で有名な同タイトル映画の原作である。原題はThe Talented Mr Ripley。詐欺や殺人大小様々の犯罪をやってのけながら自由人で気ままに暮らすトム・リプリー・シリーズの第一作目にあたる。映画は未見であるが、この小説は、同性愛の要素が漂う、ただならぬ犯罪小説なのである。いや、犯罪小説と言っても、クリスティやドイルのようなエンターテイメントではなく、むしろ『カラマーゾフの兄弟』ような純文学的な犯罪小説なのだ。同性愛の要素が漂うといっても、それは曖昧な形でなされるに過ぎない。しかし、それは主人公の成長物語の中核を担う大きなモーメントを占めている。自らと瓜二つの大富豪の息子ディッキーを殺害するリプリーなのだが、そこには愛憎が入り交じっている。
本書を別の角度から見れば、それはアメリカ/ヨーロッパという越境文化的な観点からも味わい深い。僕は、どうやらアメリカからヨーロッパへの/ヨーロッパからアメリカへの文化の越境の作品が好きらしく、ヘンリー・ジェームズ『デイジー・ミラー』も、(映画しか見ていないが)イーディス・ウォートン『エイジ・オブ・イノセンス』も、いくつかのヘミングウェイ作品、あるいは逆にカズオ・イシグロ日の名残り』なども面白く読んだ。いかにアメリカとヨーロッパがお互いを表象するのかということなのだが、本書で言えば、主人公リプリーにとってアメリカはみずからの不遇の日々、退廃の日々を象徴している。それとは逆に、ヨーロッパは自由で(文化的に)豊かな誇り高き伝統の地である。
短編小説の鋭さとは違うが、本作でもハイスミスが独特に持つ、読み進めていくうちに息苦しさを覚える感覚は生き生きとある。リプリーが自らのセクシュアリティを決して認めないながら、自らが殺してしまうディッキーに対して、あの時ああしていれば一生涯ディッキーと楽しく幸福に暮らせたのにと防波堤が壊れたかのような怒涛の後悔の瞬間が訪れるのを目のあたりにするとき、私たちもまるでリプリーと同じようにどうしようもなくtalentedでありながら、後悔の日々を送ってしまった経験の痛々しさに、身悶えするようでもあるのだ。
11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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