7-5

7-1
バイト。ツイッターで突然知らない絡む作戦の結果、地震とか原発の正義について色々議論が始まる。最初はツイッターでやっていたのだが、某SNSのメッセージでのやりとりに切り替わり。『フェイス/オフ』を見る。ジョン・トラボルタニコラス・ケイジも好きではないが、ジョン・ウーの演出はまりまくりで非常に楽しめた。僕らは顔形が全く同じだけれど、中身がそれまで知っていたその人とは全く(あるいはどこか決定的に)違っているという事態を経験したことはないか。恋愛における末期がそれである。ああ、今年も半分が終わってしまった、去年の今頃は俺はどうしていたかと思ってtwilogを見てみると「はっ! そうか。俺に足りなかったのは、ポリネシアン・スパンキングか!」とツイートしていた。
2
バイト。議論はまだ続いている。長文化していき、お互い考えて返信するのに時間がかかる。しかし、よく勉強されていて非常に尊敬できる人だ。このように突然気があいそうというか、関わってみたいと思わせてくれる人に、たまさか出会うことがある。そのとき、自分が恥ずかしくない人間でいようと思う。ウィンブルドンを見ながらコロナビールを飲んで、気づいたら眠っている。レザボア・ドッグスのオープニングを見たりもしたっけ。

lookin' for some happiness
but there is a loneliness to find

3
日曜日。今日までゆっくりと過ごすと決めたのでとことんゆっくり過ごす。昼過ぎにモスバーガーに行って加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読みふける。夜はジョコビッチナダルウィンブルドン決勝。ジョコビッチ優勝するも、なんか感慨というものはない。夜中に大学の旧友Iから電話。お互い五年後に何らかの形で世間に出ていようと誓う。奮起させられる。オザケンを聞いてみたりして。

神様を信じる強さを僕に 
生きることを諦めてしまわぬように 
賑やかな場所でかかり続ける音楽に 
僕はずっと耳を傾けている

4
祖母から手紙が届いていた。昼過ぎに図書館。月末の中間発表までにレジュメをrevisedするための本を借りまくる。ゼミは同期Iさんの発表。ロールズ産業と揶揄される研究者サークルは、ロールズの根本的な動機――社会的な諸問題から触発された動機――を忘却しているのではないかという核弾頭的発表。自分の思想的な研究が社会にどう貢献するのか、社会を何も変えないのではないか、そうなのだとしたらこんなものに何の意味があるだろうか。そのような結構実存的にヤバい病の渦中にあるようで大変そう。慰労会というか説得会をかねて、図書館前にたむろっていたA君、M氏、M君を誘いあわせてリップル。なんかゼミでの発表→リップルで酒宴というのがお決まりのコースになっている。良いことだ。彼女とも久しぶりに長く、というかほとんど初めてに近く、様々のことを話した。ロールズについての僕の放言は、論理的で賢い彼らに諌められはしたものの。前にも書いたけれど、理論的・哲学的な仕事と社会との関係においては、三つの態度を取るしか無いと思う。一つは、理論は社会に何ら影響を及ぼさないと諦めてしまうこと。二つは、諦めはするが自らと自らの周りだけを守っていこう、せめてそこには実践的に介入していこうとする立場。三つは、理論的な仕事は社会を変えると信じること、あるいは社会を変えるような理論的仕事をしようと心がけること。僕は三つ目に、どうやら固執している。Iさんが「自分の仕事が社会を変えるとか他人に影響を与えられるとか思うのは傲慢なんじゃないか」と言ったのが印象に残る。夜中、S君からかなりの吉報が届く。この間しんどい思いで頑張ってきたことが報われてほんとうに嬉しい。良かったね、これで修論にしゅうty(略
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アホほど暑い。半袖半パンで図書館へ。借りるべき本を借りて渋谷のフレッシュネス。18時から新宿でほくとたんとかなり久しぶりにお食事。お好み焼きを食べたのだが、こちらもかなり久しぶりで大満足。相変わらずアイドルに忙しそうなのだが、ロースクール入試のこともあるみたいで、いやはやハードスケジュールでございますねと他人事。楽しくおしゃべりさせていただく。ナダルはセルフスパンキングしてるよねとか、フェデラーは総ウケでしょうとか、マレーカワユスとか、まるで腐女子の会話をしておった。九時頃別れて帰宅するはずが、いろいろあって、四時前に帰宅。東京すげー。バイク二人乗り涼しい。君は育ちがいい人だね、とまるで誰かさんみたいなことを言われる。そんで、何となく寝付けずに、だらだらと朝まで起きて、いまスパゲティ食べてます。