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バイト。高二の集団授業の前期のラスト。サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」を一緒に読んで終わる。
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オザケンを聴いている。

いつもいつも君が恋しくて泣きたくなるわけなんかないよ 思いだすたびなにか胸につかえてるだけそれで何か思っても伝えられないだけ BABY!

このBABYが素晴らしい。
アレント『暗い時代の人々』をふと読み返していて、カフカベンヤミンの引用が良かった。

実生活ではうまくいかない者も、自身の運命に絶望するのを避けるには片方の手を必要とするが…もう片方の手で廃墟の中にみるものを書き留めることはできる。そこに他人とは違うもの、他人以上のものを見るからだ。それにしても彼は生きている間は死んでおり、本当の生き残りなのだ。(カフカ

難破船の壊れかけたマストの先端にまでのぼり、ようやく沈まぬようにいしている者のようだ。しかし、彼にも自分の救援信号を送るチャンスはある。(ベンヤミン

朝方、ジョン・キャメロン・ミッチェルショートバス』を見る。この映画は昔付き合っていた人と一緒に見て、ものの20分くらいで耐えられなくなり見るのをやめた映画だった。今なら見れるかなと思って見始めたらグイグイと引き込まれた。セックスが赤裸々に、そして乱痴気に描かれているのだけれど、それが嫌味ではないし、乱痴気騒ぎのセックスに(ヒッピー的な)解放を見いだしているわけではないのが、すごく好感が持てる。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』でもそうだったけれど、この監督は音楽の使い方がものすごく上手い。それだけではなく、どん詰まりでどうすることも出来ないくて、そのどうすることの出来なさを受け入れた後にもたらされる感情がちゃんとそこにある。この映画を例えば、映画の中での印象的なセリフ「世界は変えられなかったけれど、この世界から尊厳を持って退出していくわ」という言葉に、決して、断固として象徴させてはならない。どうにも統御できない、意志の能動性から逃れていく、脱中心化された主体の不自由さを受け止めること、このことは十分に世界を変えている。映画はセックス(身体)を神聖化するのではなく、むしろセックス(身体)において存在そのものに刻み込まれた他性othernessを開示する。ジョン・キャメロン・ミッチェル自身、インタビューに応えてこう言っている。

Some have branded the film "pornographic". In response, Mitchell ... argues that the sex in Shortbus is often purposefully "de-eroticized" to remove the cloud of arousal to reveal emotions and ideas that might have been obscured by it.

夕方から近所の友だちの家へ行き、飲み会。『エイリアンvsプレデター2』を見ながら。にしてもしょうもない映画やったんやけど、エイリアンシリーズ・プレデターシリーズって途方もなくでてるんですね。
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実は海の日で休日。そろそろレジュメ作りを開始。偏頭痛気味に頭が痛い。
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夜、電話がある。なんか、どうしようもない気分になる。あなたが何か新しいことにチャレンジして前向きになってくれたことはすごく嬉しい。
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レジュメ。前回の発表よりも新しいところを付け足し、いらないところを削り。
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昔の彼女が結婚するらしいということを知る午前二時。
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レジュメを徹夜で完成させ、駒場に提出。そのあとMくんとフレッシュネスでしゃべる。近所の友だちと飲む。眠れなくて、家に帰る。