'11読書日記54冊目 『緩やかさ』ミラン・クンデラ

緩やかさ

緩やかさ

201p
総計16855p
久しぶりに読むクンデラクンデラの小説は、最初に抽象的な思弁が展開されるのだが、そののち圧倒的な悲喜劇の渦に巻き込まれ、いつのまにか序盤の抽象的思弁の含意する所が明かされるという形態を取ることが多い。本作でクンデラが展開する概念は緩やかさと速度そして、記憶と忘却である。当初はまるで高尚な小説であるかに見える本作も、中盤以降はまるっきりのバカ話であり、しかもそれが洗練されたバカ話であるから、なおのことひどく、それゆえに素晴らしい。
だが、一つ気にかかるのは、『緩やかさ』においてクンデラが、東欧革命以後、冷戦崩壊以後のチェコの亡命知識人をアイロニーたっぷりに描いている点だ。どこかでスラヴォイ・ジジェクが言っていたことだが、クンデラのような皮肉的な知識人の存在こそが、戯画化された悲惨な共産主義政権を維持させたのであり、その悲惨さを食い物にして生きていたのではないか。そのように考えこんでしまうのだ。クンデラチェコからフランスへと亡命し、フランスで成功した作家として名をあげたのであり、彼の小説は戯画化された悲惨な共産主義を批判=皮肉ると同時に、西側の馬鹿騒ぎするような資本主義=自由主義をも批判する両面作戦をとっている。キッチュを憎み、キッチュであらざるをえない時代性を冷笑する作家クンデラ。その冷笑ぶりは確かに心地良く痛快であるのだが、しかし、クンデラの小説にただ笑っているだけで自らのアイデンティティを保てているような人間が――僕を含めて――量産されてきたこともまた、事実なのではないだろうか。