8-15

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昨日まで夏期講習。今日はゆっくりと休日。昼から駒場でM氏と東浩紀存在論的、郵便的』検討会。フレッシュネスでお昼を食べて、コンビニでビールを買い、院生室へ。後輩のMくんも加わる。僕が作っていったレジュメに沿いながらいくつかのことを確認し合う。哲学と社会学を架橋するような議論ができたかな。M氏がなぜ社会学をしているのかという話も聞けた。終わってから、新宿の回転寿司。充実した議論ができる友人がいるということの幸いさ。ヴォネガットタイタンの妖女』を読んで、非常に感動する。M君に教えてもらった谷崎潤一郎『鍵』も購入。
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一日ゆっくり過ごす。せんちゃんとスカイプ
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夕方twitterで知り合ったMさんと新宿で。twitterを通して実際に会ってみるとすごく話の合うことが多くて楽しい。Mさんはもう社会人の方なのだけれど、詩とか演劇とかに興味があって、そのあたりの話が聞けて嬉しかった。パウル・ツェランとか、ノヴァーリスとか、ドイツロマン主義とか。ツイートと違って、会ってみるとすごく気さくでシモネタ好きのお兄さんでした。人と音楽とか小説とかを教えあったりすることは楽しい。今日は、トム・ウェイツ"All the world is green"を教えてもらった。

Pretend that you owe me nothing
And all the world is green
We can bring back the old days again
And all the world is green

前に糸井重里が言っていて本当に賛成したのだけれど、目指すべき理想の社会は「詩人が食べていける社会」なんじゃないか。「詩人が食べていける社会」には含蓄がある。一つには、人々の文化に対する関心が高く、詩人が職業として成り立っているということ。しかし、これだけだと単なる文化的スノビズムにすぎない。もう一つの重要な含意は、人々が「詩」を楽しめるゆとりを持っている社会だということ。そこで、二つの「ゆとり」が考えられる。一つには、生のスピードが緩やかであること、言葉が簡単に消費されていくのではないということ(反-資本主義的消費)。もう一つ、人々が詩をつまりは文学を楽しめる状況であること、つまり緊急事態(戦争、災害etc)ではなく安定した社会だということ。よく、危機の時代には文化が栄えると語られることがあるけれど、危機の時代に栄えた文化が享受されるのは危機が過ぎ去った静かな時代においてだと思う。危機の時代にならないと文化が栄えないなんて(文学者や芸術家が本当に)思っているとすれば、それはただ自らの想像力の貧困を嘆いているだけだ。
夜は、少しだけ電話した。
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明日からの合宿準備を塾に行って。