'11読書日記55冊目 『蛇を踏む』川上弘美

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)

183p
総計17038p
川上弘美の初期短編集。黄昏、あるいは宵闇、のような小説。昼と夜の、夜と昼の境目であり、どちらもが混ざり合い、溶解していくような。そのように全てのものが分別をなくし、あらゆる想像力が形象を得て、小説の中に息を潜める。何一つ寓話ではなく、存在し得ないものの存在を書く。だいたいから、文体そのものが決定不可能な物憂さをはらんでいる。有名な冒頭。

ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。〔…〕蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間の形が現れた。
「踏まれたので仕方ありません」
今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。人間の形になった蛇は、五十歳くらいの女性に見えた。