'11読書日記60冊目 『それから』夏目漱石

それから (新潮文庫)

それから (新潮文庫)

302p
総計18330p
『こころ』と同じくらいかそれ以上に好きかもしれない。主人公・代助の中には二つの対立軸がある。一つは、自然と制度。もう一つは、こちらは伏在していることが多いのだが、論理と生理である。柄谷行人が解説で述べているように、『それから』の素晴らしいところは、それが心理小説ではないところにある。何でも理詰めで考える代助の悲劇は、論理が生理に負けてしまったところにあるのだ。代助にとって「自然」とは、論理や制度を超えた、自分にとっての本質・実存の問題である。『こころ』で先生が血飛沫を噴きかけたように、代助は自らの心臓の血脈を気にかけ、最後の最後にはまさに血管がショートしてしまうような、生理的混乱を強いられる。『それから』には生理的感覚の描写があるのであり、心理描写があるのではない。百合の花の芳しくも狂おしく、脳髄にそのまま刺激を与えるような香り。目眩のするような陽射しにくらくらと倒れていくような感覚。そして、電車に飛び乗り都市の憂鬱を真正面から受け止め整理されることのない混乱。最後の長いシークエンスは、途方もなく映画的であり、感覚が脳内で整理されないままショート寸前まで追い詰められていくさまが描かれている。これほどスリリングで、刺激的な漱石を僕は読まずにきたことを悔やんだ。

飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、
「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を持って回転し出した。回転するに従って火のように焙ってきた。これで半日乗り続けたら焼き尽くす事が出来るだろうと思った。
忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗って行こうと決心した。

いくつか引用。

彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考えを有っていた。けれども、それが為に、自然のままに振る舞いさえすれば、罰を免かれ得るとは信じていなかった。人を斬ったものの受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じていた。迸しる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起こさないものはあるまいと感ずるからである。

彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにも拘わらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣にする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、交る交る痕を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか、慥かに解らなかった。

角へ来て、四谷から歩く積りで、わざと、塩町行の電車に乗った。練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、珍しい夕陽が、真赤になって広い原一面を照らしていた。それが向うを行く車の輪に中って、輪が回る度に鋼鉄の如く光った。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見える程、広かった。日は血のように毒々しく照った。代助はこの光景を斜めに見ながら、風を切って電車に持って行かれた。重い頭の中がふらふらした。終点まで来た時は、精神が身体を冒したのか、精神のほうが身体に冒されたのか、厭な心持がして早く電車を降りたかった。代助は雨の用心に持った蝙蝠傘を、杖の如く引き摺って歩いた。

やがて、夢から覚めた。この一刻の幸から生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然として、我と吾手を眺めた。爪の甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顛える様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁に着く程近く寄って、強い香を眼の眩うまで嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽せて、失心して室の中に倒れたかった。