'11読書日記66冊目 『いま生きているという冒険』石川直樹

いま生きているという冒険 (よりみちパン!セ)

いま生きているという冒険 (よりみちパン!セ)

279p
総計20146p
この石川直樹という若い冒険家(77年生まれ)のことを知ったのは、多分日刊イトイ新聞だったと思う。「冒険家」という職業があることは知っていたが、冒険のルポタージュを読むのはこれが初めてだ。本書は石川さんが、高校生の時にインドへ旅に出て以来、世界を旅=冒険し続けてきた記録である。ユーコン川をくだり、チョモランマを攻め、北極から南極までを縦断し、ミクロネシアの島々をカヌーで渡り、気球に乗り、とありとあらゆると言っていいほど様々な世界を冒険してきた記録――。
「冒険記」というと英雄的なスタイルで書かれているものも多いのかもしれないが、石川さんは自らが新しい世界を知っていく驚きと興奮を、「冒険家」の眼ではなく、ごく普通の日常を生きる僕らのような素人の視線で、みずみずしく綴っている。この本を読みながら、読者は石川さんと世界を冒険しているように錯覚し、そして例えば自分がアルバイトに向かう地下鉄の中でこれを読んでいるのだと気づいた瞬間に、ほとんど絶望に近い嫉妬を味わうに違いない。石川さんの文章を読みながら、何度か泣きそうになる時が訪れた。おそらく、石川さん自身の成長が――それは「成長」などという陳腐な言葉ではなくより適切には、世界をますます知りますます知らないということに気づいていく過程なのだが――、そのクールな文体とは裏腹に僕の心に熱情的な何かをかきたてたからだろう。
石川直樹さんは自分のことを「冒険家」と呼ばれることが苦手だという。それは、本書の秀逸で詩的な――それだけで心の奥が焦げ付くような――タイトルにも現れているとおり、石川さんは「生きる」ということがそれ自体で冒険なのではないかと考えているからだ。

現実に何を体験するか、どこに行くかということはさして重要なことではないのです。心を揺さぶる何かに向かい合っているか、ということがもっとも大切なことだとぼくは思います。だから、人によっては、あえていまここにある現実に踏みとどまりながら大きな旅に出る人もいるでしょうし、ここではない別の場所に身を投げ出すことによってはじめて旅の実感を得る人もいるでしょう。

石川さんは「ここではないどこか」を探して冒険に出るのではない。そうではなくて、「生きる」ということが「冒険」にほかならないということを実感し、再確認するために冒険しているのだ。人一人いない(熊はいる)雄大な自然の中を独り占めしてユーコン川を下っていくこと、チョモランマを制覇し眼下に全てを見下ろす位置に自分をおいて世界を眺めること、ミクロネシアの島にある原生林の中で目眩を感じるほどの満天の星星に身を打たれること、こうした冒険の数々に石川さんは「生きる」強度が確証されていくのを感じる。

旅をすることで世界を経験し、想像力の強度を高め、自分自身を未来へと常に投げ出しながら、ようやく近づいてきた新しい世界をぼくはなんとか受け入れていきたいと思いました。そうすれば、さまざまな境界線をすり抜けて、世界の中にいるたった一人の「ぼく」として生きていけるきがするからです。

最後になったが石川さん自身、写真家としても評価が高く、本書に収められた数々の写真も素晴らしい。