'12読書日記58冊目 『フーコー その人その思想』ポール・ヴェーヌ

フーコー その人その思想

フーコー その人その思想

256p
総計15934p
河出文庫から『知の考古学』が出たので、それを読むための前哨戦として、かつてのフーコーの友人でありコレージュ・ド・フランスの同僚でもあった歴史家ポール・ヴェーヌの本を手にとってみる。フーコーの伝記でも真面目なフーコー論というわけでもないが、ヴェーヌが歴史家であるからか、フーコーの方法論に注目し、それが一体何であったのか議論している。ヴェーヌ曰く、フーコーの方法はいかなる超越にも超越論にも与せず研究を展開しているという点で、懐疑的である。だが、フーコーが懐疑的方法を持ってのぞんだとしても、彼は相対主義者、あるいは自らの議論まで塞いでしまって自戒する懐疑主義者ではなかった。というのも、実際に「狂気」や「権力」、「真理」は何がしかの形で存在したのであり、ただフーコーはそれらを極めて経験的な形で制約するものを、また同時にそれらが存在することで生み出される一連の実践を、歴史的に探求したのだから。
方法論の話も確かに面白いのだが、僕としてはフーコーが68年の思想グループには属せず、つまり普遍的知識人であるよりも専門的知識人であろうとし、例えば「君等はこれこれこういうふうに行動すべきだ」などという政治的アジテーションは行わなかった、ということが興味深かった。ヴェーヌが言うように、フーコーは自らの研究や思考によって自らの政治的実践を正当化するようなことはなかったのである。だとすれば、なぜフーコーはかくも政治実践的な行動に参加し続けたのか。ヴェーヌはそれを彼の怒り、彼の決断主義であると言う。僕は、そうであるとするならば、ややフーコー決断主義に疑問を感じるところがある。