'12読書日記62冊目 『その街の今は』柴崎友香

その街の今は (新潮文庫)

その街の今は (新潮文庫)

158p
総計17012p
だんだんこのブログも書評(というほどのものではない)ブログ化してきつつあるのだけれども、それに反して、世の中はどんどんブログから遠ざかっていっているし、況や書評ブログなどというのも流行らない感じが満載で、いよいよ俺も反時代的な人間*1になってきたかとも思わないでもないが、やっぱりどこかに自分の読書録をつけておくと便利なのでつづけてしまっている*2はてブユーザーも軒並み減少中らしいが、新しくブログ作るのもめんどくさい。
柴崎友香という小説家を教えてもらった人と、大阪で遊ぶことになったから、読んでみた。主人公は大阪育ちで、失業中の女性。男運もそんなにないらしい。こう書いてみると津村記久子の小説の設定と似ていると改めて思うのだが、その小説世界はぜんぜん違う。津村には時たまのジョークと鋭い毒舌があり、いかにも負け犬感が漂っているのだが、柴崎はそうした敗北感とは無縁に見える。柴崎の主人公は、大阪の土地――それも昔、主人公が生まれてもいないはるか昔の大阪――がどうであったのか、それを探索する探検家に見える。土地への愛着というものが、どうしてそこまで湧いてくるのか分からないが、その土地の来し方行く末に人は惹かれるものだというのはよく分かる。過去が重層的に折り重なった土地への親愛な眼差しを主人公は持っているのだ。それは、共同体から離脱して歴史や物語性を失った近代の人間が、何とかして繋ぎ止めておこうとする愛惜のようなものなのかもしれない。あるいは、そうした土地の過去への愛惜は、その当の土地が変転し続ける都市であるからだからかもしれない。変わっていくものに対して、その変わらなかった地続きの部分を、あるいは変わる前のものを見たいと思うのは、僕もそうだ。
大阪に帰ったのは、一つには実家に帰るためということもあった。六年前に一人暮らしを始めてから、たまに帰ってきてみても何ら変わっていない実家の周辺――大阪南部の郊外――に、僕はあまり愛着を持っていない。小学校から大阪市内の学校へ通っていたからなのかもしれない。むしろどことない疎外感さえ感じたりもする。

*1:「反時代的」って付けてたらなんかかっこえー雰囲気になる

*2:ならば読書メーターでも良いではないかという気もするが、あそこは何だか書ける字数も決まっていて嫌だし、アフィリエイトできないっぽい感じ