'12読書日記76冊目 『団地の空間政治学』原武史

団地の空間政治学 (NHKブックス)

団地の空間政治学 (NHKブックス)

290p
総計21233p
『滝山コミューン1974』を読んだときに感じたのは、滝山団地において行われた民主主義的な草の根運動の盛り上がりとその中において排他的な空気が醸成されていく過程が、ノスタルジー抜きに、むしろペシミスティックに綴られている、ということだ。いわば僕は『滝山コミューン1974』をルソーを読むフーコー*1の視点から書かれたものだと読んだのだ。しかし、本書『団地の空間政治学』において、筆者はむしろ60年代に各地の団地において実現されていた、草の根民主主義的な運動を積極的・肯定的に評価している。前著では個人史的な観点が採用され、本書では客観的な「政治思想的」観点が採用されているから、このようなアンビバレンツが起きているのかもしれないし、あるいはむしろ民主主義という運動それじたいがアンビバレンツを本来的に抱え込むものなのかもしれない。
本書の試みは、1950-60年代に各地に公営の集合住宅として建築されていった団地において、そこに住む住民らがどのような政治的な活動を行なってきたかということを明らかにしようとするものだ。大阪の香里団地、東京の多摩平団地ひばりが丘団地、千葉の常盤平団地、高根台団地を取り上げ、そこで起きていた民主主義的な運動――自治体の下からの形成や、共産党が介入してできた団体など――を分析している。単純に、東京の(大阪の)郊外の来し方を知るのも面白いが、本書はその住民らの政治意識の形成にまで迫っており、いっそう興味深いものになっている。
団地の空間政治学」。注目しなければならないのは、「空間」と「政治学」の接合である。筆者は次のように言う。

「政治」が「空間」を作り出したのが旧ソ連や東欧の集合住宅だったとすれば、「空間」が「政治」を作り出したのが日本の団地だったのだ。

旧ソ連圏では社会主義政策の一環として味気のない集合住宅が無数に造られ、人がそこに収納された。筆者によれば、戦後の日本において60年代に住宅問題を解消するために模倣されたのが、この旧ソ連圏の集合住宅であり、それが日本的団地を形成する。この意味で、内田隆三大澤真幸吉見俊哉社会学者たちが1960年代を理想の時代とし、理想の内実をアメリカに見出したのに対して、筆者は団地の隆盛からしてその理想はアメリカではなくソ連にあると反駁するのである。しかし、各地の団地において現勢した政治的理想は、社会主義的なものであったわけではない。むしろ、団地という建築空間が、民主主義的な運動の形成に寄与したと筆者は分析する。当初、団地は2DKというプライベート空間を確立するものとして人々のあこがれの的になり、応募が殺到する。そこには同じような社会層(中間階層)で、同じようなライフスタイル(夫は私鉄を使って通勤し、妻は専業主婦)を持つ人々が暮らすことになる。プライバシーは保たれていつつも、エレベーターはまだなく(そして建物もさほど高くない)、階段や廊下で人々が顔を合わせることも多い。利害関係(通勤列車の整備や運賃、保育施設、教育施設の拡充)も共通している。そうした中で、自然と団地内では自治組織や文化組織がつくられ、当時の政治の季節の影響もあって、鉄道会社や地方自治体に意見を言うような運動が展開されるのである。しかし、60年代の団地で隆盛を見た民主主義的運動は、70年代になって団地の建物が高層化し、民間のマンションと変わらない作りになり、さらに団地からニュータウン(自家用車と一戸建てのセット)へと流行が移っていくにつれて、勢力が衰えていくことになる。筆者はここに、空間と政治の相関を見るのである。建築空間のあり方が、そこに住まう人らの政治的な活動を組織しあるいは解体する。この視点は、今は忘れ去られて久しいが、かつての政治思想家らが持っていた重要なものであろう。例えば、モンテスキュー。例えば、ルソー。民主主義(政体)とそれに適する空間の広さを彼らは問題にしたのであった。地政学的(マクロ)な意味でも、あるいは住居のあり方(ミクロ)という意味でも、政治思想は空間に左右されるところがあるというのだ。本書の大半を占める経験的な団地の分析が、筆者のテーゼ「「空間」が「政治」を作り出す」を完全に裏付けるものではないし、むしろそのようなひとつの観点から書かれてはいないだけ、やや散漫な印象さえ与えるものではあるが、空間と政治という本来重要であった問題が、ふたたび取り上げており、この種の問題を考える時に必至となるだろう。

*1:ベンサムはルソーの相補者だと私は言いたいですね。実際、多くの革命家たちを鼓舞したルソーの夢とはいかなるものでしょうか。そのどの部分をとっても見てとれ、かつ読み取れるような透明な社会の夢です。〔…〕おのおのの人間が、自分の占めている点から社会の全体を見ることができるようになることです。〔…〕かくして、ルソーの大きなテーマに――これはいわば〈革命〉の抒情なのですが――ベンサム固定観念であった、「万物注視」の権力行使の技術的な観念がつぎ木されます。」「権力の眼」『フーコー・コレクション4』p382-383