'13読書日記13冊目 『聖書vs.世界史』岡崎勝世

聖書VS.世界史 (講談社現代新書)

聖書VS.世界史 (講談社現代新書)

254p
総計6750p
聖書の記述に基づいて書かれた歴史記述を「普遍史」という。本書は、普遍史歴史学の簡便な見取り図を提示してくれる。聖書に書かれた僅かな年代を頼りに、古代・中世の神学者たちは世界の歴史を記述した。様々な年代区分が生みだされ、そこに聖書解釈に関する、あるいは聖書自体の位置づけに関する宗派的なイデオロギーが絡み合う。エジプト古代王朝とノアの洪水の年代はどちらが古いのか、新世界は聖書の歴史にどう包摂されるのか、中国との遭遇によって中国の古代歴史書普遍史にどんな影響を与えたのか。一見マイナーとも思える普遍史歴史学であるが、本書が示すのは、実は人間の歴史解釈がいかにして可能になったのか、歴史を書くということがどのような意味を持つのか、という広大な射程を背後に隠し持っている。最終的に、啓蒙期にいたって、中国との遭遇の衝撃に、そしてニュートンに発する自然科学の黎明に、普遍史は聖書的な支配から逃れ、真に「普遍的」な歴史学、つまり客観的な歴史学を志向することになる。様々な文献を渉猟し、聖書と現実の歴史との関係の図式の変遷、それに関わる論争史を洗い出し、簡便に提示してみせる本書の手つきは鋭い。
ただ、ドイツ語圏におけるGeschichteとHistorieの関係や、ヘルダーやカント、ヘーゲルマルクスといった人らの歴史哲学と聖書的普遍史の関係も気になる部分ではある。それはそれ自体で一冊分厚い本が書けそうな題材であるとはいえ。カントは『世界市民的見地における普遍史の理念(Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht)』という小論を1784年に書いている(ちなみにヘルダーは少し後からIdeen zur Philosophie der Geschichte der Menschheitという未完の大著を書き始め、カントはそれに対して二度にわたって辛辣な批判をした)。そこでやはり気になるのはカントやヘルダーの"allgemeine Geschichte"が当時のコンテクストの中でどのような意味を持ったのか、ということである。グーグルブックスで18世紀と期間指定して"allgemeine Geschichte"と"Universal-Historie"を検索したところ、どちらも多くヒットする。本書によれば、18世紀末ごろに歴史学の分野においてアウグスト・ルートヴィヒ・シュレーツァーらが"Universal-Historie"から"Welt Geschichte"へと移行していく。『普遍史の理念』によればHistorieは個別の具体的出来事を取り扱う経験的な学問分野であるのに対して、Geschichteは哲学的であると言われている。コゼレックは、この事態、HistorieからGeschichteへと用語系が導入されることによって、個々の系列の出来事をひとつの包括的な歴史へと、しかも未来をも含んだ歴史へと折り重ねることができるようになったと論じている。しかし、"Universal-Historie"の場合、言わば聖書の枠組み(終末論)においてあらゆる世界の事象は一つの包括的な説明体系にまとめられるのであり、そこには黙示録的な未来も含まれているわけであり、とすれば事態はよくわからない。それに加えてさらに自然史(Naturgeschichte)という考え方を入れてみればもっと複雑になる。いったいこれらはどういう関係にあるのか。おそらくこういうものを紹介している本があるだろうから、誰か早く僕に教えて下さい><