'13読書日記20冊目 "Republikanismus und Kosmopolitismus: Eine ideengeschichtliche Studie" Philipp Hölzing

Republikanismus und Kosmopolitismus: Eine ideengeschichtliche Studie

Republikanismus und Kosmopolitismus: Eine ideengeschichtliche Studie

213p
タイトルは『共和主義と世界市民主義:思想史的研究』。筆者はフランクフルト大学で哲学で博士号を取った若手の研究者(カントを専門にしてるっぽい)。入門書ではなく思想史的小論という感じ。ではあるのだが、古代ローマからカントまでの共和主義と世界市民主義の関係のみ取り図を大きく描いている。筆者の目論見は、これまでの共和主義思想史、特にケンブリッジの人たちのそれの相対化し、同時に補完することにある。相対化というのは、次の意味において。ケンブリッジの共和主義思想史家は往々にして一国の主権・制度の問題に特化しており、国家間における共和主義あるいは世界市民主義、つまりは平和の問題をしばしば看過していたのだが、筆者はそれに対して共和主義と世界市民主義がこれまで途切れ途切れではあったが確かに関係を取り結んできたこと、そしてそれがカントにおいて完成されるということを主張する(カントにおいて何かが完成すると言いたがるのはカント研究者の常なので非常に微笑ましい)。補完するというのは、ケンブリッジの人らはほぼ古代からルネサンスまで一足飛ばしに「トンネル史」を掘ってしまい、中世の神学的思想がすっとばされてしまっていたという点、またカントも共和主義を強烈に主張したにもかかわらずほぼ無視されてしまっているという点、これを補おうという意味においてである。小著にもかかわらず、野望は大きいので(その野望は僕にはとても有意義に思える)、論述は雑になっているが、着眼点の必要性は比較的明確だと思う。共和主義、と日本語で言うと非常にわかりにくいので、res publicaの思想史と言ったほうがいいかもしれない。つまり、publicなものに関する思想史である。
僕的には、これまでカントの共和主義思想はケンブリッジの人たちの思想史の枠組みからは無視されてきたので、それを含めてドイツにおける共和主義思想史のほぼ消え入りそうな線をたどるということは興味深い。また、共和主義者が平和論にどう寄与するのかということは、重要な問題であるだけに、共和主義と世界市民主義の結節点としてカントを持ってくるのもふさわしいとおもう。
これまでの共和主義思想史の大きな潮流には、ケンブリッジに端を発して、2つのものがある。一つはJohn Pocockのもの、もう一つはQuentin Skinnerのものである。二人の研究手法は似ているが、そのビジョンはやや異なっている。ポーコックは古代のギリシア哲学、とりわけアリストテレスの『政治学』に端を発する政治参加=市民的徳の概念を重要視し、それがマキアヴェリ、ハリントン、アメリカ革命へと(そしてアレントへと)受け継がれていくという、ややざっくり言えばコミュニタリアンと近い(が必ずしも一致しないと思うけれど)思想史を構想する。他方で、スキナーは古代ローマの思想家たちにおけるres publicaの概念を参照し、市民的徳よりもむしろ市民的自由(消極的自由ではなく積極的自由)を確保できる制度構想を強調する。アリストテレス的/ネオ・ローマ的共和主義という区分をしてもいい。こうした思想史の二通りの理解は妥当なものではあるが、あくまで理念型として、さらにポーコックやスキナーが目を向けていない思想家や地域、時代を見ていった時に、どのように見取り図が変化するのか、というのは非常に興味深い課題である。
筆者は、この課題に世界市民主義という観点を入れて取り組んでいく。1章ではアリストテレスからキケロに至る古代の共和主義が扱われ、2章では(ここが優れて本書の面白いところだと思うが)Res Publica Christianaと題して、中世の神学者における共和主義思想が扱われる。アウグスティヌス、ソールズベリーのヨハネス(Johannes von Salisbury)、アクィナス、パドヴァのマルシリウス(Marsilius von Padua)、そしてダンテを中心に追っていく中で見えてくるのは、共和主義思想がキリスト教と融合することで人権の萌芽といったものが芽生えてくるということ、さらにアウグスティヌスの『神の国』のビジョンが時代を下るに連れて世界君主の理念へと世俗化されていくということである。ここにおいて古代のストア主義的な世界市民主義がキリスト教的な世界市民主義と混交する。3章では、古典的共和主義者としてマキアヴェッリ、ミルトン、ハミルトン、スピノザ(!)が取り上げられる(ここはJonathan Israelが参照されてる)。そして4章で近代の共和主義として、ルソー、マディソン、カントが扱われる。筆者はマディソンの連邦主義を実践理性の観点から書きなおしたものとしてカントの世界共和国論を読み解いており興味深い(両者に影響関係があると言っているのではない)。
研究方法の節を設けている割に、その方法に則っているようにはあまり見えないし、各思想家の取り上げ方も結構雑なんだけれども、2章とかスピノザのあたりは結構面白い。そして、やっぱりハリントンは相当面白い人物だなと再認識。『オシアナ』はちゃんと読まないかん。