'13読書日記32冊目 『リベラル・デモクラシーと神権政治』柴田寿子

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

220p

昨日も触れましたが、柴田先生の遺著となった本です。僕が駒場にきたのは2010年、その前の年に柴田先生がお亡くなりになられているのですね。本書のサブタイトルに付いているように「スピノザからレオ・シュトラウス」さらにはシュミット、ネグリにいたるまで幅広く論じられています。第一部では現代のリベラルデモクラシー、さらにユダヤ性、宗教の問題を、シュトラウススピノザ読解から説き起こして考察が進められます。第二部では近世・近代の社会思想、とくにホッブズスピノザがどう展開/反転させ、キリスト教ユダヤ教、さらには主権国家との関係をどう考えたのかということが論じられます。とりわけ僕にとって面白かったのは第四章「古典主義時代における歴史の概念と政治神学――聖書解釈をめぐるホッブズスピノザの相違は何を帰結するのか」。政治思想史において「歴史」がどう政治的な役割を果たしたのかというのは興味深いとつねづね思っているのですが、ここではスピノザにおける「ヒストリア」の位置が原理的に考察されています。第三部では、アレント、シュミット、マルクスの「ユダヤ人問題」が、現代的な問題意識を念頭に扱われます。題名になっている「リベラル・デモクラシーと神権政治」は、象徴的で意味深ですが、僕なりに言い換えれば、「リベラル・デモクラシーとその敵、その敵の魅力と恐怖」となるかもしれません。もっと具体的に言えば、本書で取り扱われているのは、リベラル・デモクラシーが標榜する、政教分離を原則とした価値中立平面がいかに脆弱であるか、そしてそれに対抗するにはどうすればいいのかという問題意識であり、その手がかりを、ユダヤ性との格闘のうちに自らの思考を練り上げてきたスピノザシュトラウスアレント、そしてリベラル・デモクラシーを同化ユダヤと同一視するシュミットに求めようというものなのです。