アレント『暗い時代の人々』序文とブレヒト「後世へ向けて」

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

お亡くなりになった柴田寿子先生のアレントについて書かれた論文(「政治的公共圏と歴史認識――アーレントにおける「光の物語」と「闇の記憶」」『リベラル・デモクラシーと神権政治スピノザからレオ・シュトラウスまで』東京大学出版会、2009年所収)を読んでいたら、なぜかすごくぐっときてしまった。アレントにおいて公的領域に属さない事柄は、公的領域が人々が誰であるかを明らかにする光に満ちた現れの場所なのであれば、暗い場所にしまわれたままである。公的領域が言葉と行動による政治の場所であれば、政治から離れた場所――柴田先生が極めて適切に言うように、そこはだからといって私的領域に限られるわけではない――には、言葉にならず「物語」にならないものがしまわれている。僕がいい意味で驚かされたのは、柴田先生の断言――「そして彼女にとって重要なものは「闇」ではなかったのか」である。なんとはなしに盲目的に、アレントは公的領域を重視している、と思っていた僕は確かにはっとさせられた。
それで、『暗い時代の人々』の序文を思い出した。「暗い時代」と聞くと、全体主義の陰鬱な時期、公的領域のすべてが闇に覆われてしまい、否定的に評価されていた私的領域に隠遁しなければならなかった人々が論じられると思うのだが――ままそうであることも確かなのだが――、アレントの言葉遣いは両義的である。序文では、ハイデガーのものらしい「公共性の光はすべてを暗闇にする」という言葉が引かれている。ここから分かるのは、暗い時代とは、公的領域が失われ光が奪われるのではなく、光が一切のものを、公的領域・私的領域その他すべてを覆ってしまい、むしろ暗闇がなくなった時代だということである。柴田先生が言うように、「物語」にならない「語りえないもの」が闇の世界に置かれているのだとすれば、そしてアレントにとって闇こそが重要なのであれば、「暗い時代」はその語りえないものの住まう場所を、公的領域から発せられる光が奪ってしまう状態――明るすぎて目も眩む状態――なのではないだろうか。
と思って、下の『暗い時代の人々』序文の拙訳を読んでみてください。なんだか、原発事故後の日本を思いながら読むと考えさせられるような気もします。ブレヒト「後世へ向けて」のひどい訳もつけてみました。

この論集は、12年以上にもわたってたまさかの機会に書かれてきたのだが、おもに人物に――彼らがどのように生きたのか、どのように世界で行動したか、歴史的な時代にどんな影響を受けたかに――関心が向けられている。ここに集められた人々〔ゴットフリート・レッシング、ローザ・ルクセンブルクヨハネ23世、カール・ヤスパース、イサク・ディーネセン、ヘルマン・ブロッホヴァルター・ベンヤミンベルトルト・ブレヒト、ヴァルデマール・グリアン、ランダル・ジャレル〕は互いに似ていないとは言えないが、たとえば発言権を与えてみたとしたら、一緒の部屋に集められることに抗議しただろうことは想像するに難くない。というのも、お互いに面識がなかったという一点を除いて、彼らは才能も信念も、職業も環境もまったくバラバラだからだ。しかし、彼らは異なる世代に属しているけれども、同時代人である――もちろんレッシングを除いてであるが、序章では彼があたかも同時代人であるかのように扱われる。このように彼らは互いに生きた時代を共有しており、それは20世紀の前半、政治的カタストロフや道徳的悲惨さ、技術と科学の驚くべき発展を経験した世界であった。そして、この時代が彼らの幾人かを殺し、その他の人の人生と作品を決定づけたのだが、ほとんど影響されなかった人もわずかにいた。とはいえこの時代に条件付けられていないと言える人はいない。ある時代の代表者や、時代精神の代弁者、(大文字の)「歴史」の主唱者を求めている人は、この本には何も見いだせないだろう。
とはいえ、歴史的な時代――タイトルで言われている「暗い時代(dark times)」――は、思うに、本書のいたるところで明らかである。この言葉を私はブレヒトの有名な詩「後世へ向けて(an die Nachgeborenen, to posterity)」から借りている。詩に書かれているのは、混乱や飢餓、大量殺戮、不正義に対する抵抗、「ただ不正があって抵抗がなかったときの」絶望、正当ではあるが人を醜くさせてしまう憎しみ、まったく当然であるにもかかわらずその声をしわがれさせてしまう憤怒である。これらは果たして、すべて現実だったのであり、公然となされたのである。このことに関しては、隠されていることも不可思議なことも全くなかった。ただし、それは決して誰の目にも明らかだったのではないし、それを知るのはたやすいものではまったくなかった。カタストロフがすべてのもの、すべてのひとを襲ったまさにその瞬間に至るまで、それはリアリティによってではなく、ほぼすべての公的な代表者らの非常に効果的なおしゃべりと曖昧な物言いで覆い隠されていたのだ。彼らは遮られることなく様々に技巧を凝らして、不愉快な事実を言い繕い、ものごとを正当化した。暗い時代について、そしてそこで生き行動した人らについて考えるなら、「エスタブリッシュメント」――すなわち「システム」と呼ばれるところのもの――から発せられ広められる、このカモフラージュを考慮に入れなければならない。公的領域の機能が、自らが誰であるか、何ができるのかを、善かれ悪しかれ行動と言葉のうちに示す現れの空間(space of appearances)を与え、人間の事柄に光を投げかけることであるならば、暗闇が訪れるのはこの光が消しさられてしまったとき、「政治不信(credibility gap)」や「見えざる政府」*1によって、また事態を明らかにするのではなく絨毯の下に押し込んでしまう発話によって、古びた真理をもちだしてきて言い訳をして、あらゆる真相を意味のないどうでもよいことにしてしまう、道徳的なあるいはその他の忠告によって、光が消し去られてしまったときである。
このことはなにも、新奇なことなどではない。三十年前にサルトルが『眩暈』(これはいまだに彼の最良の本だと思う)で、不誠実さとくそまじめな精神(l'esprit de sérieux)によって描いた状況である。それは、公的に知られているあらゆるひとが下衆野郎(salauds)であり、あらゆるものごとが昏迷と嫌悪を呼ぶ、不透明で無意味な現存在のなかに存在している世界である。これと同じ状況を、四十年前に(まったく違った目的ではあるが)ハイデガーは『存在と時間』の数パラグラフのなかで、異常なまでの正確さで説明していた。「世間」や「おしゃべり」について、あるいは一般的に、自己の親密さによって隠されたり守られたりせずに、公的に現れているあらゆるものについて扱った箇所である。人間存在に関する彼の説明によれば、リアルな、本来的なことはすべて「おしゃべり」の圧倒的な力に攻撃されているが、それは不可避的に公的領域から発せられ、日常的な存在者のあらゆる側面を規定し、未来がもたらすであろう一切の意味あるいは無意味を先取りしまたは打ち砕くものである。ハイデガーによれば、このありふれた日常世界の「異常なまでのどうでもよさ」から逃れるには、そこから立ち去って、パルメニデスプラトン以来の哲学者が政治的領域に対立させてきた孤独のなかに閉じこもるしかない。わたしたちはここでハイデガーの分析の哲学的な重要さに関心があるわけでもないし(それは否定できないように思われるが)、その背後にある哲学的思考の伝統に関心があるわけでもない。そうではなく、もっぱらこの時代に横たわるある種の経験と、その概念的な説明に関心があるのだ。わたしたちの文脈において重要なことは、「公共性の光はすべてを暗闇にする(Das Licht der Öffentlichkeit verdunkelt alles)」という皮肉で倒錯的なひびきのする主張が問題の核心を突いていて、実際にただ当時の状況を簡潔に要約するものだったということである。
私がここでより広い意味で提起する「暗い時代」は、今世紀の、恐ろしいまでに新しい怪物性とそのまま同じだというわけではない。反対に、暗い時代は新しくないばかりではなく、また歴史のなかで珍しいものでもない。ひょっとすると、その他の点では昔も今も犯罪と悲惨さを同様に経験しているアメリカ史においては、知られていなかったことかもしれないが。時代の暗闇の中でさえ、わたしたちにはなんらかの照明を期待する権利があるということ、そしてそうした照明がやってくるのは理論や概念からではなく、むしろ不確かで揺らぎやすく、しばしば微弱な光、ある種の人々が自分の人生や作品のなかでどのような状況であっても燃え立たせ、この世で与えられた時間を超えて投げかける光からであるということ――この確信は、これらの人々の横顔を描く際に抱かれていた暗黙の背景をなしている。わたしたちのように暗闇に慣れすぎてしまった眼は、彼らが投げかける光がろうそくの炎なのか、それとも燃えたぎる太陽の光なのかを見分けることはできないだろう。しかし、そうした客観的な評価は私には大した重要性を持たないように思われるし、後世へ(to posterity)任せても問題のないことだろう。
1968年1月

ベルトルト・ブレヒト 「後世へむけて」
1.
事実、俺は暗い時代に生きている!
悪気ない言葉は愚かだ
如才ない頭脳は何も感じないってことだ
笑っているやつらはおぞましい知らせに
まだ気付いていない
 
この時代は、いったいなんだ
木々について語ることさえ非道だ
それは悪を前にして沈黙するのと同じだ!
安んじて通りを歩いている奴は
困っている友達にもう会わないつもりか?
 
確かに。俺はまだ自分で食べていけてる
しかしそれは単なる偶然で。俺のしたことなんて何も
腹を満たすことには値しないんだ
たまさか無事ってやつだ(運に見放されたらおしまいだ)
 
みんな俺に言う
さあ、食べろ食べろ、飲め飲め、ツイててよかったじゃないか!
いったいどうやってそんなことができる?
飢えた奴から食べ物ひっぺがして、一杯の水もやらないで。
でも、俺は食べて飲んでる
 
賢かったらよかったのにな
古い本に書いてあった
すなわち――
世の争いごとに関わらず
恐れることなく短い生涯をおくり
暴力なしにやっていく
悪には善で返し
願いを叶えてはならないし、さもなければ忘れること
そういう人は賢いのだ――
俺はこんなことできないな
事実、俺は暗い時代を生きている!
 
2.
混乱のときに街へ来た
そこには飢えしかなかった
暴動のときに人々のところへ行った
俺はみんなと激怒した
そうやって過ぎていった
この世で与えられたときは
 
戦いの合間に食べてたっけ
人殺しと一緒に眠ったんだ
愛にはまったくむとんちゃくで
自然ばっかり好き放題見てた
そうやって過ぎていった
この世で与えられたときは
 
道は泥沼へ続いていたな、俺の時代のはなしだ
言葉が屠殺者に俺のことを漏らした
やれることは少なかった
支配者たちが俺に構わず安泰でいてくれること
俺はそう願ったね
そうやって過ぎていった
この世で与えられたときは
 
勢力はわずか
しかし目標は果てしない
目に見えて明らかだったぜ、俺にとってみれば
成し遂げたことなんてなかったんだ
そうやって過ぎていった
この世で与えられたときが
 
3.
俺らが沈んでしまった大水から
浮かび上がろうとするきみら、
俺らの愚かさについて話すときには
思い出してくれよ
きみらが逃れた
暗い時代のことについても
 
俺らは絶望したよ
国と国とが立場を変えるよりももっとたくさん
階級闘争のさなかさ
不正義だけがあって抵抗はなかったのさ
 
そこでわかったんだ
劣悪さを憎めば顔がゆがみ
不正に激怒すればしわがれ声になる
俺らが――
俺らが友情のために為そうとしたことは
もうそれは友情などではなかった
 
だけどきみらは、やっとのことでさ
人が人の助けになるときがきたら
思い出してくれよ、俺らのことを
大きな心でさ

*1:Men in Dark Timesが発表されたのは68年。credibility gapはベトナム戦争時、ジョンソン政府の発言に不信が集まった事態を指してしばしば使われた。invisible governmentは冷戦下のCIAの活動をさして使われることがあった。とウィキペディアが申しておりました。