'13読書日記34冊目 『政治的ロマン主義』カール・シュミット

政治的ロマン主義

政治的ロマン主義

220p
橋川文三訳で読んだが、意味の取りづらい箇所があり、日本語としてもやや古いので、もしかすると大久保和郎訳で読んだほうがわかりやすいかもしれない。
ロマン主義をめぐっては、ほぼ同時代人であるアイザイア・バーリンも講義録が出版されている。シュミットが現実における決断を回避し、理念――ロマン化され宇宙的なものとなった――に逃げ込む政治的立場を評して「政治的ロマン主義」と批判的に歴史の考察をすすめるのに対して、バーリンの歴史的な考察はロマン主義的イロニーにリベラリズムにとって枢要である多元主義を見出そうとする。シュミットとバーリンを介してロマン主義がどのように理解され、それがそれぞれの立場にどのように反映しているのかということは興味深い。
バーリンのような読み方は、リベラリズムの擁護に役立つものとしてドイツ・ロマン主義を解釈することができ、一見シュミットの激烈な批判に比べて、穏当であるような気がする。しかし、事の次第を市民的共和主義の観点から見てみるならば、つまり共和主義と自由主義、あるいは共和主義と政治的決断という観点から見るならば、シュミットの主張は問題の核心を付いているのかもしれない。ドイツにおいて米仏のようなブルジョア革命が起こらず、政治的参加への権利が市民に与えられることのないまま、所有自由主義のようなものが成り立ったという経緯があり、その上で、シュミットが革命の不成立を政治的ロマン主義者らの出現と等価に扱っているのだとすれば、共和主義と政治的決断のあいだにはどのような関係があるのか。両者は互いに不可分のものなのか?