'13読書日記41冊目 『啓蒙の射程と思想家の旅』田中秀夫

啓蒙の射程と思想家の旅

啓蒙の射程と思想家の旅

218p
先生からご恵投いただきました。ありがとうございます。
目次を見てみると分かるのですが、先生が終始追いかけてこられた研究の見取り図が本書を通して示されているようです。思想史、とりわけ18世紀の社会思想史という分野に少しでも興味を持つ人が本書を読めば、これからどう古典を読み進めていけばいいか、あるいは古典のどの部分に注目すればいいのか、そのようなことがつかめるのじゃないかと思います。また、社会思想史とか古典の著作の面白さがわからないという人にとってみても、本書で描出されるような、様々な思想家を横断して繰り広げられる思想の物語――まさに思想史――はダイナミックで、「ああ、このように私は古典を読んでこなかった、このように読めれば楽しめたのだ」というような発見に満ちているとおもいます。
目次は、このような具合です。

1. ヨーロッパ啓蒙――共和主義と世界市民主義を中心に
2. 啓蒙思想家の旅
3. 大ブリテンの啓蒙――起源と文脈
4. 啓蒙と野蛮――スコットランド啓蒙研究の可能性
5. 市民社会と徳――思想史的接近
6. 啓蒙と改革――十八世紀研究の視座
7. 自己愛の時代の始まり――スミスとルソーの自己愛論

僕としては、まずは第2章「啓蒙思想家の旅」を面白く読みました。啓蒙の時代、18世紀の知識人たちは自国にとどまらず――亡命や逃走など――様々な理由で、ヨーロッパ中を旅しました。各地で思想家の出会いがあり、そこにまた思想の芽生えがある、そうした様々な旅があったのです(もちろんカントのようにずっと一箇所にとどまった人もいましたが)。いわばヨーロッパのなかに文芸共和国が広がっており、それが国と国とを超え、そして思想的交流によって国と国とが架橋されていく、そうしたダイナミックで憧憬の的ともなり得るような、ある時代の異国間交流の様子が描かれているのです。
本書の大部分は、先生が追求してきた共和主義と啓蒙の思想史をめぐるものなのですが、それと同様に興味深かったのは、日本における研究史について書かれたところです。それは例えば、第4章「啓蒙と野蛮」第4節「スコットランド啓蒙研究への日本の貢献」や、第5章「市民社会と徳」といったところで論じられます。とりわけスリリングな展開を感じたのは、第4章でスコットランド啓蒙の特徴を、様々な種類の体系的経験主義的な社会の学問のハイブリッド、雑種性に求めたところから、日本の「雑種性」(加藤周一)へと架橋して議論が進んでいくところです。スコットランド啓蒙、とりわヒュームやスミスといった人らを日本で研究してきた人らは、同時にいわゆる「市民社会論」者でもありました。4章では、市民社会論者の思想史研究への寄与を中心に概観していきながら、同時に彼らの日本の情況への発言をもとりあわせて考察が加えられます。もはや市民社会論といったものが下火になって久しい時に、大学に入って勉強をし始めた者にとって、こうした研究史ならびに同時代の日本の思想史を回顧するようなものは非常に貴重で勉強になります。先生の見取り図としては、市民社会論にコミットした人らは、マルクスを背景にしながらも、スコットランド啓蒙から経済的発展と同時に平等、正義、公正を満たした社会への視座を受け取ったのだということです。先生は彼らの中に、日本のありえたシビックヒューマニズムの要素を見いだしているようです。思想史研究者が、同時に日本の現代の市民社会を論じる人々であったという、戦後の一世代――あるいはそうした人は他の世代にもいるのかもしれませんが――が持つ特徴を見たとき、思想史を研究するということと現代へとコミットしていくということがどこか深い根をもってつながっているということを感じざるをえません。学部を卒業して、先生にご挨拶に伺ったとき、アレントハーバーマスから公共性の理論を研究しようとしていた僕に「理論だけではなかなか難しいよ、歴史もやりなさい」とおっしゃっていただいたことを思い出しもしました。