'14読書日記2 『絶望』ナボコフ

絶望 (光文社古典新訳文庫)

絶望 (光文社古典新訳文庫)

ロシアからドイツに亡命して、主に亡命ロシア人知識人向けに小説を書いていた初期のナボコフ。のちに『ロリータ』で圧倒的な質量で展開される原型のようなものも感じさせる。なによりナボコフの小説は、その饒舌さを楽しめるかどうか、言葉遊びを楽しめるかどうかというところが肝のようなものであって、『絶望』(とその達意の翻訳)は十分に期待にこたえてくれる。本書はいわゆる「信頼できない語り手」と呼ばれる技法を用いた、ある殺人者の告白という形式を取るのだが、主人公である書き手=語り手が芸術家を志向する自意識過剰な人物であることも加えて、『ロリータ』の語りと同形の構造を持っている。ただ、『ロリータ』がひとつの異形の小宇宙をなす壮大な織物だとすれば、『絶望』はもう少し小品で(といっても文庫で350pくらいあるが)、ナボコフの意図も分かりやすい。本書は翻訳としても読みやすく、ロシア語の言葉遊びも再現されていて、それだけで感動するのだが、さらに素晴らしいのは訳者貝澤さんの解説である。ナボコフの翻訳者あるいは研究者はともすれば(といってもwさんを思っているのだが)ナボコフマニアみたいになってしまって、ナボコフの言葉遊びの種明かしやコネタのネタ元の発見に終始する解説になりがちな印象なのだが、本書の解説は適度に距離感を持って、小説家を客観視し、しかも明晰に小説の構造を分析して見せてくれる。小説自体の読後は、その語り手の憔悴した、あるいは諦観しつつもある饒舌さに飲み込まれて、ぼおっとしてしまうのだが、そのあとに続けて解説を読むと、読みながらぼんやり考えていたことなどがクリアに整理されており、ぱっと目を覚まされるような気分になる。とりわけ、ナボコフ(あるいは『絶望』の語り手である書き手)の絵画・映像といった視覚芸術への憧れ、つまり小説が見たものを見たまま書き表すことなど不可能であるという自覚が本書を貫いており、しかしその小説の不利な構造を利用して読者をまんまと小説世界に引きずり込んでしまう構造が明晰にされて、感銘を受けた。
最近考えているのは、論文、小説をとわず、とかく「語り口」という奴だったもので。