'14読書日記3  『ドイツ市民法史』村上淳一

ドイツ市民法史

ドイツ市民法史

近代法の形成』の続編で、18世紀末から20世紀全体主義の台頭とその後のあたりまでのドイツの私法、とりわけ市民の自治という意味での市民の自立の議論の変遷を追っている。日本の市民社会論の文脈で言われる市民の私的自治という概念は、社会と国家の分離を前提とし、国家の不干渉の領域として社会が現れているという近代的なモーメントの一つとして見出されてきた。しかし、絶対主義国家から破産した革命を経て、もっぱら国家官僚によって上からの近代化が促進されてきたドイツにあっては、ことはそう単純ではない。経済的自由の前には、身分制的秩序(ツンフトやギルド)が立ちはだかっていたのであり、その背後には、国家と社会の一致の強固な基盤が控えている。18世紀末の法改革において、ようやく少なくとも経済的自由・私的自由の原理が「上から」与えられようとしつつあった時にも、しかし問題は浮上する。それは私的な営業団体としての会社に法的な人格(法人)を付与すべきかどうか、付与すべきだとしてそれは家族や国家、教会とどのように異なっているのか、本当に付与していいのか、といった問題である。会社の設立、営業の自由といったものさえ国家の許可なしには付託されえなかったのであり、国家はそれを付託するにしても、それは経済市場の自然的秩序を構成し、国富(公共善)を増加させるためにのみそうしたのだった。本書の射程は、ナチズムの台頭と、団体法や独占禁止法、労働者の団結法、労働者の代表制などの議論の関係にまで入っていく。非常に広範なドイツ語文献をほぼそのまま継ぎ接ぎしたような叙述は、細かすぎるきらいはあり議論の筋が見えにくく、どのように各章がつながっているのか(おそらくさしたるつながりはない)もあまり判然としないが、一つの通史の――かつての書き方――だったのだろうとして読めば、勉強にはなる。オリジナルさなどはあまり問題にはならないのかもしれない。こうした外面的な事柄を脇にどけておくにしても、私的自治の歴史的文脈で欠かせないのは、いわゆる「社会的国家」の議論だが、これにはほとんど触れているようには見えないところが最大の欠点かもしれない。その点、木村先生の『ドイツ福祉国家思想史』で補われるのかもしれないが。オルド学派にも触れられているけれど、フーコーがあれだけ面白く書けるのはやはりすごいということを再認識。
ドイツ福祉国家思想史

ドイツ福祉国家思想史