Party's over by Jan-Werner Müller

パーティーズ・オーヴァー ヤン・ヴェルナー・ミュラー
(Jan-Werner Müller "The party's over" (Review of Ruling the Void: the hollowing of western democracy by Peter Mair)

Jan-Werner Müllerは政治学者で、シュミットに関する著作が邦訳されていたり、憲法パトリオティズムや現代の民主主義の危機に関する著作が有名です。London Review of BooksでPeter Mairというアイルランド政治学者の本"Ruling the Void"を書評していて、今回の欧州議会選挙についても(その結果が分かる前の書評ですが)書かれています。

Constitutional Patriotism (English Edition)

Constitutional Patriotism (English Edition)

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党派(party)という言葉は――「政党」のように――様々な場所で様々な理由によってではあるが、西洋中でウケが悪い。アメリカ合衆国では、大統領から下々まですべての人が、政治の分極化と派閥の興隆を嘆いている。だが党派に対する反発はアメリカ史では別段新しくはないことだ。「もし政党と一緒にでなければ天国へ行けないのだとしたら、そんなところには絶対に行かないだろう」とジェファソンは書いた。ヨーロッパ人は分割できないひとつの国家という理想に、さほどとりつかれてはいないようだ。むしろ彼らは真逆の問題を気にかけている。それは政党がすべて同じだという問題である。つまり、政党が異なったイデオロギーを持っていたとしても問題になるし、そうでないとしても問題になるのだ。それでは、われわれは政党に何を望んでいるというのか。

ピーター・マイアーの『空虚を支配する』はこの問題に対して、不穏な答えをいくつか与えてくれる。西欧民主主義の危機に対処するためにマイアーなら提示したであろう戦略についてはわからないままだが――彼は本を完成させる前、2011年に心臓発作で亡くなった――、彼の政治学者としての卓越した才能は、「政党民主主義の時代」の終焉がもたらした巨大な困難と同様に、明らかである。マイアーによれば、近代民主主義は政党なしでは単に機能しない。それゆえ、政党が適切な役割を果たさなくなれば、民主主義自体が問題となるのだ。
マイアーが政党の衰退を示すためにかき集めた証拠は圧倒的である。投票率は、毎回の選挙で連続的に下がり続けているわけではないが、記録的な低投票率はより頻繁に、より多くの場所で起こっている、。調査によれば、特定の政党を支持する人の数は下落しており、党員数は劇的に減少している。無関心が一貫性のなさと並行して現れている、とマイアーは言う。投票行動は気まぐれさを増し、投票者が何を考えているかは確かではなが、こう考えることは妥当である。つまり、政治をまじめに考えなくなれば、自分の一票でもっと自由に実験してやろうという気になるということだ。とはいえ、気まぐれな投票が増えるということは、逆のことも示している。つまり、市民はもっと自分の選択に注意深くなり、親から引き継いだであろう政党への忠誠心に盲目に従うということはなくなる。しかし、マイアーに言わせれば、これは問題ぶくみの展開である。かつて政党は特定の社会的なアイデンティティに基盤をおいていた。言い換えれば、政党はまさに人口の様々な部門を代表していたのである。党派心は、政治システムの正統性から逸脱したものではなく、正統性を増やすものだった。政党は「大衆民主主義」を許容できるものにする他のおおくの仕組みの一つなどではなかった。それは、人民の意志と公論を市民社会から国家へと伝える最重要の手段だったのだ。決定的なのは、政党が前者[人民の意志]に根ざしたものだったということだ。したがって、マイアーが「代表制度による統合」と呼ぶものが重要だったのだ。政治家は、単純に人民全体から支持を得ようとすることはできなかったし、またマイアーが「都合の良さ(what works)の政治」と呼ぶものを導入することもできなかった。問題は「都合がいいのはなにか」ではなく、「わたしたちにとって都合がいいのはなにか」だったのだ。そして、そうした多様な有権者の側に立った利己心は、まさに民主主義を全体的に機能させるものだった。

マイアーのもっともオリジナルな議論は、政党の没落、政党内閣の没落、したがって政党民主主義全体の没落は、人民と政治家のいずれかのせいにはすることができないというものである。お互いに[政党から]撤退するようになったことが問題なのだ。政治家と市民はマイアーが「反政治的な感情」と呼ぶものを共有している。トニー・ブレアは2000年に大真面目な顔で「私は政治には決して参加していない」と言い、閣僚の一人は「重要な意思決定を脱政治化すること」を吹聴してまわっていた。実際、そうした言葉に示されているのは、政治家は自分の政党から自由になろうとしているということだった。ゴードン・ブラウンは首相時代に年金と平均所得の比例関係を回復するという労働組合からの提案を切り捨てたことがあった。労働党の総会で大多数の人がその提案に賛成するのを前に、ブラウンはこれは「国家が決めることだ」と宣言した。「私はすべてのコミュニティの声を聞いているのだ」。フランスの新しい社会党の首相マニュエル・ヴァルスは、自分が社会党員ではないということを明言することから職務をはじめざるをえないと感じたほどだった。

マイアーが問うているのは、こうした政治に対する広範な軽蔑が、自由民主主義は唯一正統な政治システムであるという1989年以後ほとんどあらゆるところでなされた断言と、どう一致しているのか、ということである。一つの答えは、民主主義は「大衆の参加」を必要としない、ましてや熱烈な党派的なコミットメントなどいらない、というようにつねに再定義され続けているというものだ。政治理論家は次々に「熟議民主主義」への賛意を表明しているが、そこでは市民は丁寧な議論を通して、専門家のアドバイスに基づいて、「合理的」な政治にいたるというわけだ。人々は、非党派的であるように、ジョン・スチュアート・ミルが「断片的な真実」と呼ぶもの――つまり政党の方針のようなものすべて――にしがみつくのをやめるように求められる。さらに、より普及しているのは、民主主義を選挙の部分とそれ以外に分けるという傾向である。それ以外の部分は活気ある市民社会であったり、生き生きとした公共圏であったり、あるいはもっとも妥当するように言えば、法の支配であったりする。それは民主主義を真にリベラルなものにするものだと考えられているだけでなく、政党や選挙と関係のあるあらゆるものよりも重要であると考えられている。アメリカのジャーナリスト、ファリード・ザカリアは選挙や投票を「大衆の投票」として退けた。彼によれば(見上げたことだが)「今日、我々が政治において必要としているのは、より多くの民主主義ではなく、より少ない民主主義なのだ」。

選挙の最小限の機能は、政府に人々がうんざりしたときに、その政府をやめさせることを可能にするというものだ。しかし、このことでさえ明快な[党派的な]政治の選択肢の存在にかかっている。こうした民主主義の基本的な側面が、今日では問題になっているのだ。それゆえに様々な概念が増殖していくことになるのである。たとえば「ポスト政治的民主主義」や、特に「ポスト民主主義」といったものだ。この言葉はイギリスの社会科学者コリン・クラウチがつくったもので、ヨーロッパの現状診断として明らかに正しいものだといわれることが多い。考え方は単純である。上層部の人間をすげ替えることはできるが、実際に政策を変えることはできない、というものだ(ブルガリアの社会科学者イワン・クラステフによれば、対照的にロシアや中国では、政策は変えられるが、エリートをすげ替えることはできない)。マイアーによれば、「党派心」が政策に及ぼす影響はここ数十年、低下の一方であった。政党は今日、自らを「責任感がある」として提示するが(とりわけ金融市場を操れるというような意味だが)、政党は投票者を代表するものでもなければ、この点に関して投票者に応答するようなものでもなくなっている。

こうした診断のなかには、新しい労働党が引き起こした深い政治不信に明らかに導かれているものがある。それはサッチャーが自らの最大の功績と主張したのだった。自称左派の政党は、右派の前任者よりも[ロンドンの]シティーとはるかに仲睦まじかった。しかしこの現象はイギリス特有のものではない。クリントン政権下のアメリカで、また社会民主党のゲルハルト・シュレーダーのドイツで、金融市場は包括的に規制緩和されたのである。

こうした問題を議論する際に避けなければならない二つの危険がある。一つ目の危険は、過去の明確な[党派的な]政治の選択肢を理想化することである。フランスとイタリアには西ヨーロッパで最大の共産党があったということがほんとうに重要だったのだろうか。1980年代初期のフランスのわずかな例外はあるにせよ、冷戦の制約のもとで共産党が政権を得ることが決してなかったとしても。かつては、政党はアイデンティティと一連の選択肢を提供していたが、投票者は実際には選択することがなかった。というのも、自分のアイデンティティによって投票行動が決定されていたからである。政党は代表的であったかもしれないが、必ずしも投票者に反応したというわけではなかった。ハンガリー政治学者ズォルト・エンイェディが指摘するように、政党は支持者からの服従を期待していたのだ。単純得票制度をもつイギリス以外のところで存在する、政党政治へのさらなる制約は、市民は政党のために投票するが、必ずしも連れ立って同じ党に投票するわけではないということである。その結果、党の綱領は不可避に水増しされる。また、政党による代表制の黄金時代といわれる時代でも、すべての有権者の関心――たとえば女性や非異性愛者――が適切に代表されてはいなかったことも考えるべきである。

もう一つの危険は、かつての政党のやり方を理想化することである。政党集会に時間が取られすぎていると考えたとして、私は本当に悪い民主党員なのだろうか。個人主義――ソローが述べたように、一人の政党に所属すること――は、党への忠誠心よりも偉大な民主主義的徳ではないだろうか。アクティヴィストのなかには、「政党政治」が通りすがりの無関心な人にパンフレットを押し付けることを意味していた時代が終わったことを嘆く人もいるかもしれない。しかし、多くの人は、支配者層がうまく仕事をしているあいだ、本当は家にいて、House of Cardsを見ていたいのではないか。政治学者には、こうした明らかな無関心に威厳を与えるような新しい概念がある。それは「オーディエンス・デモクラシー」というものだ。それは、われわれは出来る限り物事に目を配っていて、支配者層があまりに身勝手になったときには彼らを押さえつけるべきだ、という考えである。ベッペ・グリッロ五つ星運動や、さまざまな海賊政党、アイスランドのベストパーティ(パロディとして始まったが、レイキャビク市長選挙で勝ってしまった)は、政治家たちにはより多くを期待するけれど、自分ではグリッロのブログを眺めたり彼に投票したりするかもしれないくらいにしか考えていないという状況を示しているのではないか。ふと気づけば、どこの誰かもわからない、自称非政治的な専門家に支配されていて、なにかとてつもなくひどい状況になっているけれども、しかし唯一頼みの綱は、権力を人民に取り戻すと約束するポピュリストくらいしかいないと考えてしまうどうしようもない場合もある。前者はどこでも同じ政策を提供し、政治を与えてくれないけれども、後者は政治を与えてくれて、政策はなし、というふうな具合なのだ。

このことが最もあからさまになっているのは、ヨーロッパ連合をおいて他にない。マイアーが明らかにしているように、ヨーロッパ統合の目的は当初から「守られた領域」を作ることだった。代表制民主主義の気まぐれから守られた領域である。20世紀半ばの政治的カタストロフィのあとで、西ヨーロッパのエリートたちは(イギリスを除いて)人民主権には疑い深く接しなければならない、と結論づけた。人民がファシストを権力の座に送り、ファシストの支配者と結託したとすれば、結局のところ、いったいどうして人民を信じることができるというのか。議会制主権という考えにさえ、深い留保が付けられた。合法的な代表議会が1933年にヒトラーに、1940年にペタン元帥に権力を手渡したのではなかったか。結果的に戦後ヨーロッパの議会は制度的に弱体化させられ、他方で選挙で選ばれたのではない制度――憲法裁判所は主要な例だ――により多くの権力が与えられた。

これらすべてが受け入れられていたのは、エリートが信頼されている限り、そして「守られた領域」でなされた決断が人々の日常生活に劇的な影響を及ぼさない限りでのことだった。どちらの条件ももはや当てはまらない。マイアーが指摘するように、個々の政治家ではなく、政治家層全体がヨーロッパの多くの箇所で議論の種になっている。4年にわたるユーロ危機の結果、一方でテクノクラシーが、他方でポピュリズムが残された。二つの立場は完全に相反するように見えるが、実際には一つの態度で共通している。官僚はあらゆる政策課題にはただひとつの合理的な解があり、したがって議論の必要はないと考える。他方、ポピュリストは、本当の人民意志があり、自分達はそれを見分けられる唯一の人物であり、したがって議論の必要はない、と考える。両者は政党民主主義にともなう複数性に反対する。偶然にも、ポピュリズムと「専門家支配」がひとりの人物のなかに結合している場合がある。シルビオベルルスコーニオーストリアのヨルグ・ハイダーは、それぞれの国を企業のように経営すると約束したのだった。

奇妙なミスマッチは、投票の範囲と実際に投票で問題になっていることのあいだに起きている。EUの構造に対して、またブリュッセルで立案されるべき政策、されるべきでない政策に対して、正当な反論がなされてはいるが、マイアーによれば、しかし投票者はこれらの問題について意見を言おうとして間違った投票を行ってしまう。投票者は欧州議会選挙においてEUへの不満を表明するが、欧州議会は、連合全体の形を決めるEU条約の協定にかんして、なんの役割も果たしていないのである。751人の欧州議会議員は、特定の政策に対して決定権を持っているが(ヨーロッパ議会は、しばしば嘲笑の的になってはいるが、単に政府の政策に何も考えずに判を押す各国議会よりも、法律の修正についてはるかに優れた成績をおさめている、と信じている人もいるようだが)、しかし投票者は自国の選挙の際にえらんだ政策に好みを表明してしまう。たとえ、各国政府がEUに対して一貫して力を失ってきているにしても、である。ある推定によれば、半数を優に超えるEU加盟国の法律は、いまやブリュッセルから来たものであるという。

投票率は、1979年の第一回以来、欧州議会選挙のたびごとに落ちていく。しかし、次の選挙はこの傾向から外れるかもしれないという感じがある。2014年に、ヨーロッパが問題だということを否定するEU市民は少ないだろう。そしてもしEU市民がマイアーが包括的なひきこもりと呼ぶものから出てくるつもりがあるなら、政治家も市民に歩み寄る用意があるように見える。ヨーロッパ議会は豊富な選挙キャンペーンをうつために出費しなければならないと感じているし、そのスローガンは「今回は違う」というもので、人々を投票ブースに向かわせようとしている。そして、議会の超国家的な「政党家族」は欧州委員会の委員長として「一番手の候補」を指名しており、最も多く得票した人物がその仕事につくことを約束している。この提案の背後にある希望というのは、分極化の代償を払っても政治化することが正統性への王道を示してくれる、というものである。フィンランドの経済・金融・ユーロ担当のEU委員であるオッリ・レーンは(感情と政治を一緒くたにすることで知られている人物ではないのだが)、最近、欧州議会選挙は「感情的に」なされるべきだ、と述べた。市民はブリュッセルの官僚に対面したとしても、怒りを覚えることはなくなるかもしれない。しかし、こうしたことはアメリカの近年の歴史の教訓に学んでいるとはいえない。そこではエリート主導の分極化と個人化が、政治システム全体の正統性に危害を及ぼし、政治は巨大なエゴ同士の衝突に関するものだという印象を与えてきたと考えられている。そして、決して明らかではないのは、人事の選択が本当に政策の選択につながるのかということであり、欧州委員会欧州議会ではなく加盟国によって批准された条約によって、EUの政策の実質のほとんどが決まるのだ。条約の問題をどけておくとしても、ユーロ圏は自律的な政治的選択の射程をずっと狭めてきている。ドイツの主張を見てみよう。すべてのユーロ国家は「債務ブレーキ」を憲法に導入し、赤字財政支出を実質的に不可能にすべきだというものだ。欧州委員会はこうしたことのいっさいについて、何も変えることができない。実際、今やその仕事は本質的には、ルールが守られているか、国家予算に介入する必要があるのはどこかということを監視することなのである。こうした状況で、委員会の委員長を選ぶようになったとしても、それは単に表面上の変化にしかみえないかもしれない。

マイアーの結論はこうだ。EU政党政治家がつくった家であり、そこには政治の余地がなく、他方で各国政府は単にブリュッセルの派出局であるかのようなふりをしているということは確実である。(結局、もしブリュッセルがすでに決定していたとしたら、それに関わりようもないし、交渉のテーブルにつかなくてはなどと気にかけることもない)。こうした状況では、マイアーがトクヴィル・シンドロームと呼ぶものが深刻になってくる。もし政治的エリートが受け入れがたいか、無能であるかした場合、どうして彼らに我慢していられるだろう。トクヴィルアンシャン・レジームの貴族たちの没落について書いていた。彼らはいちど中央集権的君主制に対する力を失ってしまえば、自らの特権を正当化できなくなってしまった。経済危機の最悪の状況は過ぎ去ったかもしれないが、ヨーロッパの政治的危機はまだ始まったばかりである。