'14読書日記13 『アメリカ感情旅行』安岡章太郎

アメリカ感情旅行 (岩波新書)

アメリカ感情旅行 (岩波新書)

何気なく言った古本屋で、100円で売られていたので。安岡章太郎は『海浜の光景』が圧倒的によくて、ほかのものも読もうと思っていたのだけれど、思っていた矢先に出会ったのが、彼が1960年にロックフェラー財団の資金でアメリカに半年滞在したことをまとめた、この旅行記だった。そもそも50年前の日本というのも、すでにもはや想像しづらくなっているというのに、50年前のアメリカとなればなおさらで、しかもその紀行文があの安岡によって書かれている、ということだけでも惹きつけられるというものである。
そして、実際に、非常に興味深いアメリカのルポルタージュ(?)になっているように思われる。安岡はなぜか、南部のナッシュビルに長いこと滞在することにするのだが、そこで彼が目にしたのは当時まだしぶとく残り続けている黒人差別である。キング牧師I have a dreamと演説する3年前のことだから、想像するにかたくない。そして、さらに歴史的なシーンを重ねれれば、60年というのは日本の敗戦からまだ15年しかたっておらず(安岡はいくつかの場面で自らの経験した大きな戦争を思い起こさざるを得なくなる)、発展するアメリカを追い越せと意気込んでいた頃のことである(加えれば、日米安保の議論がさかんにおこなわれていたのもこの時期だ)。僕などは、終戦後という大きな枠組で60年代と現代をひとくくりにして考えてしまいがちなのだが、このルポはそうしたたった50年のなかにも、当然驚愕に値するような「歴史」があることを、あまりの変化があったことを教えてくれる。
安岡は、アメリカに来て、単純に、ただただ「戸惑う」。広漠とした大地に戸惑い、黒人差別、そして黄色人種に対する差別に戸惑う。また他方で、アメリカに行って日本人代表であるかのように何事かを喋ってしまう自分にも戸惑う。愛国心が湧いてくることに戸惑い、食生活に戸惑い、英語に戸惑い、すべてに戸惑う。戸惑うこと、それは極めて誠実な態度である。自分の見て聞いて考えたことが偏見からくる歪んだものなのかもしれないと吐露し、それでもなお湧き上がる感情や戸惑いを隠そうとしない。知識人が知識人たるということは、実は、こうした誠実な戸惑いにこそ現れているのかもしれない。挙句の果ては、自分は一体なんのためにアメリカにいるのか、と途方もない徒労感さえ露わにする。
安岡が当時感じた、アメリカでの戸惑いは、今でもなお海外へ初めて行った時の日本人の戸惑いに近いかもしれない。しかし、僕らはたやすく、ここは日本とは違うだとか、ここも日本と同じだとか、そういった短絡的な感慨を持って、その戸惑いをいなしてしまう。それと違って、安岡の『アメリカ感情旅行』は戸惑いから始まり、戸惑いに終わる。おそらく他者に触れるという経験は、このようにしてなされるべきことがらなのだろう。