'14読書日記18冊目 『治癒神イエスの誕生』山形孝夫

治癒神イエスの誕生 (ちくま学芸文庫)

治癒神イエスの誕生 (ちくま学芸文庫)

「治癒神イエス」というだけで、なんだかわくわくせざるをえないタイトルなのだけれど、内容もそれに劣らず、驚きの知見が盛り沢山である。筆者は宗教人類学的な観点から、聖書、キリスト教へとアプローチしていく。聖書に見られるイエスが起こした数々の奇跡、これらは従来神学において議論の的になるようなことは少なかった。むしろ、近代へと時代を遡るに連れて、聖書におけるそうした奇跡は排除され、神の力を民衆に理解させるための寓話として解釈されるようになってくる。しかし、宗教人類学は聖書を唯一神の言葉、経典として見るのではなく、それを一種の「神話」、ある民族が必要としていた神話として捉え、歴史的コンテクストを掘り起こしていくのだ。
聖書記録者によれば、イエスはさまざまなところで奇跡、とりわけ病を治癒する奇跡を起こしている。本書は、イエスをそうした病気を治す奇跡を起こす神(治癒神)として捉え、イエスに至るユダヤ教ヤハウェや、古代ギリシアなど他民族の神話を参照する。古代ギリシア古代オリエントの世界では、神は死と再生を司るものとして存在しており、死から再生へいたる力として病を治癒する奇跡を起こすものとして、民衆に親しまれていた。神話的な背景に加えて、地理的・社会学的な背景を参照すれば、古代オリエントにおいて、死は生き生きとした緑地の対として、砂漠によって象徴されており、同時にその象徴系には病も包含されていた。つまり、砂漠=病=死という等式が成り立っていた。例えば、旧約聖書には、神の怒りによって大地が砂漠化し、人々が病にかかる(例えばヨブ)エピソードが沢山出てくる。イエスが活動しはじめた時期の古代オリエント世界では、治癒神としてアスクレピオスという神が、民衆に信仰されていた。イエスの治癒活動は、いわばそうしたアスクレピオス神信仰との対決を余儀なくされたのであり(イエス自身がそう望んだかは不明だが)、結果として、アスクレピオス信仰を圧倒していく勢力となっていったのである。
本書で描かれるのは、神学的に抽象的で哲学的な議論ではまったくなく、生きた人間=神としてのイエスと弟子たちの活動が当時の民衆にとっていかなる意味を持ったのかというドラマである。イエスが好んで(というか多く)治癒したのは、ハンセン病や精神病に陥った人々、つまり社会から排除され砂漠で暮らさざるを得なくなったような見捨てられた人々であった。彼らは、外科手術を主に行っていたアスクレピオス神信仰の運動では(ヒポクラテスアスクレピオス医師団の末裔にあたるようだ)、その対象から排除された人らであった。つまり、イエスは言わばそうした社会の規範的な秩序系から排除された人らを救う運動を行っていたのであり、それは社会の支配的な価値を覆すような意味を持っていたのだ。本書は、教会として一大組織になっていく制度化の過程以前の、原体験としてのイエスの像を鮮やかに描き出してみせるのである。
聖書の起源 (ちくま学芸文庫)

聖書の起源 (ちくま学芸文庫)