'14読書日記19冊目 Rival Enlightenments by Ian Hunter

Rival Enlightenments (Ideas in Context)

Rival Enlightenments (Ideas in Context)

「ドイツ啓蒙」という枠組みで描かれる歴史はたいていの場合――とはいえそもそもこの言葉自体フランス啓蒙やイギリス啓蒙、スコットランド啓蒙に比べて人口に膾炙していると思えないが――、次のような流れとして語られてきた。17世紀、プーフェンドルフの経験主義・主意主義ライプニッツの神学-形而上学が乗り越え、さらに18世紀になってヴォルフがそれを発展させたところで、同世紀後半にカントが登場して、ニュートン主義、ヒューム、ルソーの影響のもと、ライプニッツ-ヴォルフ学派の独断論形而上学に「コペルニクス的転回」をもたらし、ドイツ内に根強かった敬虔主義さえも吹き飛ばして批判哲学を完成させた、と。こうした教科書的な思想史は、ドイツ啓蒙をカントに向けた「理性の勝利」の歴史として描いてきた*1
本書Rival Enlightenments(『競い合う啓蒙』?)は、こうした見方――カントへ向かっていく直線史観――を真っ向から覆してみせる。rival enlightenment"s"と複数形になっているのがミソだ。イアン・ハンターは、超越論哲学へむけて修練していく一つの啓蒙を、いわば脱構築しようとするのである。どういうことか。これまで、ライプニッツ・ヴォルフの理性哲学は、のちのカントの批判哲学を準備したという点からも、つねにプーフェンドルフ、(そしてあまり取り上げられることがない)クリスティアン・トマジウス(Christian Thomasius)らの経験的・主意主義的な哲学に、そして蒙昧な敬虔主義的神学に優越しているものとして扱われてきた。ドイツ啓蒙は、理性の力を強力に打ち出し、神学を理性化した、というわけだ。ハンターはこの構図に対して、ドイツにおいては実のところ、対立するRivalの関係にある二つの啓蒙enlightenment"s"が存在したのであって、ライプニッツ・ヴォルフの超越哲学(形而上学)とプーフェンドルフ・トマジウスの経験哲学は、とうてい一つには回収できないものだ、と主張する。ハンターによれば、ライプニッツ・ヴォルフ・カントの系は半宗教的とさえ言える超越的な形而上学として一つの啓蒙を担い、プーフェンドルフ・トマジウスの系は経験的な世俗哲学(civil philosophy)として大学の法学部を中心に勢力を持ったもう一つの啓蒙を担っていた。前者は確かに神学の理性化(哲学による神学の包摂)を目指していたけれども、同時にそこには理性の神学化の側面もあり、神学的形而上学と世俗の統治を結びつけようとした。他方、後者は形而上学・神学と法学・政治学を分離して、後者の独立を企図していた。ハンターによれば、この対立構図の背景には、政治と大学、神学部・哲学部と法学部をめぐる政治的・宗教的な抗争がつねに存在していた。
ハンターによれば、その抗争は、ドイツの、とりわけブランデンブルクプロイセンの歴史的コンテクストに規定されている。宗教対立をめぐって行われた悲惨な30年戦争期において、ドイツでは形而上学と神学もまた抗争を繰り広げていた。形而上学は理性の力によって超越的な真理を知り、それによって救済にいたることができると主張するが、神学(とくにルター派プロテスタント神学)は、これを聖書の教義に反するものだとして退ける。理性によっては救済に至ることは出来ず、ただ信仰によってのみ救済は確証されるとしたのだ。実際、16世紀後半にはプロテスタント系の大学から形而上学が駆逐されていくということが起きていた。神聖ローマ帝国内では、領邦国家の君主が宗教色を強めていき、神学者たちと結合するような状況が生まれていたのだ。帝国内には領邦国家同士の対立が強まっていく。このような状況のなかで、いかにして政治的対立を和らげることが可能かという問いが、アカデミズムの内部に広がり、哲学と神学の再びの和解が目指されることになる。しかし、それを主導したのは、ルター派神学者ではなくむしろ哲学者であり、17世紀初頭には再び駆逐された形而上学者が大学に戻ってきはじめていた。いわゆる講壇形而上学(Schulmetaphysik)が主張するのは、哲学が探求する自然の真理も、聖書に書かれた神の真理も、同じ神という一つの手によって記されているのだから一致するに違いない、ということだった。こうした知的風土において次第に講壇形而上学は優位を獲得していくことになる。しかし、そこでその優位に反旗を翻すものとして現れてきたのが、プーフェンドルフだった。プーフェンドルフは、哲学によって神学の教義を解釈し、理性と信仰を統合すると主張する講壇形而上学が、実のところ再び世俗の中に宗教的対立をもちこむ火種となっていることを批判したのだ。
ここで、ハンターの思想史の注目すべき観点に触れておかなければならない。ハンターは、ドイツ啓蒙において哲学がパイディア(paideia)、アスケーシス(askesis)――つまり修養、自己形成――の側面を強く持っていたという点に着目して、拮抗・対立する二つの啓蒙の系譜を洗い出していく(フーコーギリシア哲学に見出したような自己への倫理、という観点に近いと序論で説明されている)。プーフェンドルフが、講壇形而上学に世俗の宗教対立の激化の原因を見たのは、講壇形而上学のパイディアの特徴のためだった。ハンターは、中世以来、神学の内部に形而上学を取り込もうとする傾向が、形而上学エートスとでも言うべきもの――この観点からすれば、形而上学はまさに人間学的である――を持ってきたと指摘する。たとえば、中世の神学者アルベルトゥス・マグヌスによれば、観想的生(vita contemplativa)において、人間は知性によって形而上学的の真理を手に入れるが、その真理は神と人間とに分有されているものであって、観想こそが他のあらゆる目的から解放された自己充足的な活動であり、自己を純化していく実践的パイデイアをなしている。ドイツの文脈において、この形而上学的パイディアは、容易に知的権威と政治的権威を結びつける役割を果たすことになる。直観を超越的な概念や神的に理解された世界の法則へと高めることによって、形而上学的に訓練された哲学者は、司教や君主に対して、自らを唯一教会と国家の真の目的を理解できるものとして提示したのである。つまり、帝国と領邦国家の対立が、宗教的・政治的な地位の対立によって深く影響されている状況で、講壇哲学者は世俗の統治をキリスト教的哲学に服従させようとしたのだ。まさにこの点に、プーフェンドルフは宗教と国家の再びの結合を見出し、それがいっそうの宗教的対立を引き起こしかねないと批判した。反対に、プーフェンドルフはホッブズを修正しつつ、主権・国家の領域から宗教や道徳を排除し、宗教的に中立的な政治を確立しようとすることで、領域内部の宗教対立を防ごうとする。プーフェンドルフにとって善き生とは、いわば異教的なもの、つまり幸福である。超越的な知性・救済を神学に任せる一方で、プーフェンドルフは個人の生の安全あるいは幸福にのみ配慮すべきものとして君主制を主張したのだ。
ここから、プーフェンドルフ、ライプニッツ、トマジウス、カントとそれぞれが個別に論じられていき、ドイツ啓蒙の内部につねに存在してきた、二つの啓蒙の拮抗が描き出される。シンパシーを持って描かれるのは、宗教的対立による世俗の政治の危険に、寛容、あるいは宗教的に中立な国家を法学・政治学において展開した、プーフェンドルフ・トマジウスの系である。彼らは政治と道徳を分離し、法学・政治学を超越的な形而上学からもぎとって経験的な認識科学へと引き渡そうとしたというのだ。統治は世俗の宗教や道徳にはかかわらず、ただ人民の安全と幸福を目指さなければならない。自然法の構成においても、プーフェンドルフ・トマジウスはライプニッツやヴォルフとは異なった展開を見せている。後者が神の法としての自然法から義務と権利の体系を導き出すのに対して、前者は人間の経験的本性として自然法を想定し、社会契約を経て国家が構成されること、そして世俗の領域においては神学的・道徳的義務ではなく、人民の安寧という点においてのみ君主・司教・市民という諸身分がそれぞれの義務を持つことを解いた。
哲学・神学・自然法・政治理論と様々に横断しながら論じていき、二つの啓蒙の思想史を描ききる手際には驚かされる。歴史的な事実と思想の両方に目配せしながら、力強く自身の「二つの啓蒙」テーゼ――半宗教的形而上学と世俗哲学の対立、真理の王国と世俗の王国の対立――を構成していく思想史の作法は、圧巻だ。びしばしと先行研究の解釈を批判して、それをバネにして進んでいく叙述のスタイルも読んでいてわくわくさせられるし、なによりほぼ一般的には忘れ去られてしまっていたクリスティアン・トマジウスを大々的にフューチャーしている点は、ドイツ啓蒙研究への重要な貢献になっている(このあとハンターはトマジウスの単著を出している)。それまでも自然法思想史の分野ではSchneewindやHaakonssenなどの研究があったが、ハンターの研究は歴史と思想の関係を詳細に調査して思想史の叙述に取り組んでいるため、より本格的なスタイルのものになっている。ドイツ啓蒙研究では理性の勝利がモチーフとなって取り扱われているが、たとえばプロイセンの改革者(高級官僚)を見てみれば、極めて経験的な議論、政治科学的な議論の構成をとり、しかも政教分離の観点から改革を進めようとしていたことが見て取れる。このことは、ハンターが講壇形而上学に見て取る半宗教的な政治思想――ライプニッツ・ヴォルフに特徴的な政治の再宗教化――が正しいとすれば、ドイツ啓蒙研究にとって厄介な事実であり、おそらく実際的な法学者らの思想状況を説明するには、プーフェンドルフ・トマジウスの世俗哲学のラインを追う必要があるだろう。管見の限りでは、たとえばドイツの福祉国家思想(Wohlfahrtstaat)において優勢だったのはヴォルフなのかそれともプーフェンドルフ・トマジウスの系だったのかについて、はっきりしたことを書いたものを見かけたことがない。このあたりのことを研究していく時にも、ハンターの図式は手がかりを与えてくれるような気がする(ドイツの公法学研究では十分な蓄積がある気もするが)。カントの部分は、自分が研究しているせいか結構強引な読みに見えるけれども、カントの道徳哲学(とりわけ『基礎づけ』)もやはり一種の人間学――homo duplex(あるいはフーコーの言葉で言えば経験的=先験的二重体)――を前提にしており、講壇形而上学の伝統・プロテスタント的神学の影響を色濃くもったパイディアを形成しているという指摘には、唸らさた。本書を足がかりにして、ドイツの内部だけではなく、他のスコットランドやフランスの思想の流入具合を描くことができたら、非常に濃密で包括的な啓蒙の思想史が浮かび上がってくることだろう。
最後に、ハンターは言及してはいないが、パイディアに着目した思想史を展開することは、ロールズ以降の正義論あるいは現在の倫理学が「善とはなにか」という知と「善を行うこと」という実践の結びつきについてもっぱら言及するのを控えていることにたいする、一種の問題提起にもつながるのではないかとも感じた。ハンターと同時期に出たideas in contextシリーズのドイツ自然法研究。
Natural Law Theories in the Early Enlightenment (Ideas in Context)

Natural Law Theories in the Early Enlightenment (Ideas in Context)

ハンターの編著K. Haakonsseの自然法論。秀逸なスミス論はこちら
Natural Law and Moral Philosophy: From Grotius to the Scottish Enlightenment

Natural Law and Moral Philosophy: From Grotius to the Scottish Enlightenment

Schneewindの自然法・道徳思想史。
自律の創成: 近代道徳哲学史 (叢書・ウニベルシタス)

自律の創成: 近代道徳哲学史 (叢書・ウニベルシタス)

*1:より専門的には、例えば以前読んだWerner Schneidersの整理によれば、こうなる。18世紀初頭にトマジウスの主意主義がヴォルフの理性主義にとってかわられ、さらに中盤に通俗哲学者らがトマジウスとヴォルフの中間を取ろうとする。そして80年代にカントの超越論的哲学によっていっさいが駆逐される。