'14読書日記33冊目 『岩波講座・政治哲学2 啓蒙・改革・革命』

啓蒙・改革・革命 (岩波講座 政治哲学 第2巻)

啓蒙・改革・革命 (岩波講座 政治哲学 第2巻)

啓蒙の多様性に着目して編まれた論文集。歴史的なコンテクストを重視するものもあれば、思想家のテクストを中心に論じているものもあり、様々ですが、どれも刺激的で啓発的な内容を含んでいるように思います。集団的自衛権をめぐる陰鬱な出来事がありましたが、そういうときこそ、いちど現代とは無関係に思える過去の思想家のテクストに沈潜して、思考を研ぎ澄ます必要があると思いますが、この論集、というか岩波講座・政治哲学のシリーズは、その要求に答えてくれるものだと思います。
目次はこんな感じ。

序論(犬塚元)
1君主主義の政治学――初期イングランドにおける「文明」と「政治」(木村俊道)
2歴史叙述の政治思想――啓蒙の文明化のナラティブ(犬塚元)
モンテスキューとフランス啓蒙――「穏和の精神」と「文学的政治学」の狭間で(安武真隆)
4フィジオクラット――穏和な商業から穏和な専制へ(安藤裕介)
5ルソー――反時代的著述家の改革思想(小林淑憲)
6ヒュームとスミス――共感と観察者の理論は正義を語りうるか(奥田太郎)
アメリカの建国――共和国における王政的権力の再構成(石川敬史)
8バーク――モダニティとしての古来の国制(土井美徳)
9カント――移行をめぐる三つの議論(金慧)
10ヘーゲル――啓蒙と革命の間の政治哲学(権佐武志)

第一章、木村論文は君主の秘密、統治の秘密としての政治をテーマ化しています。啓蒙が光ならそこには影も伴うだろう、ということなのです。君主主義に着目すると同時に、宮廷の顧問官たちにも目を向けることで、文明の作法が統治の秘密の一つを形成していたことを論じます。王を讃える典礼儀式は、華々しい光によって王を包み隠すものであり、そこには言わば(アガンベンっぽく言うと)統治と栄光の弁証法が働いているのです。
第二章、犬塚論文は、歴史を書く行為がつねに何らかの思想的な枠組みを前提にしているとすれば、啓蒙期に書かれた歴史はどのような思想を表現するものであるのか、という非常に興味深い問いからスタートしていきます。文明と野蛮の二項対立が、実は西洋と非西洋に当てはめられていたのではなく、むしろ文明の中の野蛮としての宗教的熱狂への批判として用いられていたことが明らかにされます。フランスとイングランドを往還しつつ、啓蒙の歴史叙述(historiography)の相貌が浮かび上がってきます。筆者によれば、ヴォルテールやヒュームの文明化の歴史叙述は、社会的規範の非宗教的な基礎を経験的に示しています。啓蒙期の歴史叙述には、他にも聖書の枠組みから、そして神の摂理・奇跡の介入から歴史を解放するというアプローチ、そして世紀後半の文明発展論的なアプローチがあるといいます。啓蒙の歴史叙述を政治思想として論じるということは、歴史叙述をひとつの言語行為として、つまり何らかのパフォーマティブを狙ったものとして読むという視点をとる、ということなんだろうと感じました。歴史主義以降というか歴史学が自立していったとき、この視点は失われてしまうのではないのか、とも感じました。宗教的熱狂を野蛮として文明に対比するという方向性のあとに、スミスやファーガソンが自然という語彙で、つまり明らかに目的論的な語彙で文明発展図式を描きましたが、後者は宗教というテーマを回避していると筆者は言います。しかしさらに自然の語彙に自然神学的要素を認めていいなら、事はやや複雑になりそうな気もします。ドイツ歴史主義に触れるのであればドイツ啓蒙の歴史叙述のことにもちらっと触れて頂きたかったとないものねだりをしてしまいますが、これはいつか自分でやらなきゃだめです。
第三章、第四章とフランス関連が続きます。安武論文が論じるように、モンテスキューはジョン・ローの財政改革に王権の肥大化と過酷な専制を見て、それに立法者の穏和な精神を対置する。安藤論文では、フィジオクラットはモンテスキュー専制批判を再批判して、正統な専制君主は自然的秩序に従って統治すると主張するとされます。論文では扱われていませんが、アダム・スミスは翻って、フィジオクラットを「体系の精神の人」、チェスの駒を動かすように統治して自然的自由の秩序を破壊すると批判しました。モンテスキュー、フィジオクラット、スミスと統治論がバージョンアップしていくような感じを受けます。もちろん間にはルソーもいるし、ヒュームもいます。この講座ではあまり注目されていませんが、フーコーが言ったように18世紀は統治の自然主義とでも言うべき時代だったのではないかと思います。安藤論文でとても興味深かったのは、フィジオクラットの統治論を評して、マブリが言った言葉です。彼らは「食事にしか関心がない動物のように人間を眺める」。自然的秩序の中では、人間は動物のように統治されるといいます。さらに下ってトクヴィルは、国民と統治権力の関係を、勤勉な動物の群れ/牧人と重ね合わせてしまいます。フーコーが統治性の出発点に見た統治の自然主義に対して、すでに同時代がそれを動物への統治術だと見抜いていたところが、すごいと思いました(フーコーは同時代人の言葉に言及していなかったような気がします)。飛躍して言えば、環境管理的統治のもとでの人間の原イメージは、すでにエコノミストと呼ばれた集団の言説のなかに現れているのではないでしょうか。安藤論文で、別の角度から興味深いのは、ケネーが自然的秩序に従った専制として称揚するのが、中国の皇帝だということです。中国の統治原理が儒学五経』に基づくものだと指摘しているというのです。儒教の自然が、西洋的自然観ないし殊更神学的な自然的秩序という観念とどう折り合いがつけられたのか、それとも無理解だったのか、興味がつきません。
さらに第五章もフランスつながりでルソーを論じる小林論文です。ルソーといえばフランス革命とセットで捉えられますが、むしろルソー本人は祖国ジュネーブに向けてずっと書いていたのではないか、しかもその際、人民の無媒介な政治参加を否定的に見ていたのでは、という挑発的な論考です。『社会契約論』のルソーでさえ、ジュネーブへの徹底した意識があったことが、ジュネーブの歴史を背景に論じられます。社会契約論のローマ民会論への分析から分かるのは、どうやらルソーは少数の為政者による立法と多数の人民によるそれへの賛否の提示というモデルで考えていたようなのです。コルシカ、ポーランドジュネーブ、と同時代の情況に関与する意図で書かれたものが、フランスの革命中に広範に読まれて権威にまで高められるというのはわくわくする歴史的なプロセスです。
石川論文は、アメリカ独立革命という新しいVerfassungの創設という試みを、植民地側から見たイギリスの国制、当時勃発していた植民地内での叛乱というコンテクストから理解する試みです。現代のアメリカについて考えるための手がかり満載となっています。イギリス領アメリカ植民地13邦は、イギリスという抽象的統合を担う王政と、各邦の日常的自治という共和政の共存していた空間であり、1776年は前者の切断でした。この原則の重要性の指摘からはじまります。13邦の統合原理であったイギリス王政を切断することは、しかし、統合原理を失うということも意味します。87年の合衆国憲法起草者たちは、王政に変えて、独立戦争の際の臨時的な執行機関である大陸会議を永続化・連邦政府化するのです。独立宣言はイギリスの国制である議会内の国王を否定しました。アメリカには議会内の国王が、権力分立の否定、すなわち専制としてうつったのです。87年憲法が、大統領の権限を厳密に執行権として規定したのは、そのためだと筆者は言います。専制への対抗は、単に君主によるものだけではなく、貴族・人民によるものにも及びます。つまり、起草者たちにとって共和制とは代表制の謂いであり、多数者の専制も抑止されなければならなかったのです。連邦政府の創設を王政のアメリカナイゼーションとして捉える筆者の視点は、Verfassungの創設に当たって、一方でイギリスの専制からの離脱と共和制の創造という面と、他方で起草者たちの意図通り(?)絶大になってしまった現代の連邦政府(再王政化?)という面を表現したものと捉えました。多数者の専制を抑止するために連邦政府の権力を強大なものにしていった帰結が孕む根本的な問題が浮かび上がってきます。フェデラリストが、連邦政府設立の第一の理由に掲げていたのは対外的安全保障だったことも興味深い点です。直観的に言えば創設からすでに例外状況における決定のための政府だったのだろうと感じます。さらに構成的権力の観点からアメリカ革命を見ればどうかと、僕は考えます。石川先生によれば87年の憲法制定会議は「デモクラティックな意志による代表者たちの会議ではない」が、この会議は「人民の同意を体現するのに十分」で「アメリカ共和国の国制の創設行為であり、確かにルソー的な意味での社会契約」でした。憲法制定権力は、同意する人民にあり、立法者は人民意思を代表する単なる起草者です。が、アメリカ革命において、その起草者である憲法制定会議には、全人民からの同意は与えられていないという矛盾があります。フェデラリスト・ペーパーズは憲法制定行為は、全人民に基づくものではなく、各邦がひとつの主権団体としておこなった承認によるものと、解釈しました。つまり憲法制定行為において、アメリ憲法は連合的であり、国家的ではない。が、憲法によって創設される政府の権力は全人民を貫通する、というわけです。
土井論文はバークの反啓蒙・保守主義のなかに、もうひとつのモダニティの表現を見ます。バークによれば古来の国制からの連続性が文明社会を可能にしていて、古来の習俗こそが自然にかなっているとされます。スコットランド啓蒙とのつながりの指摘もありました。バークは仁愛を自然によって与えられた感情であるとします。さらに愛の感情を引き起こすもの同士(それは人間同士だけに限られない)のコミュニケーションを一般的社交と呼んで、社会と自然の秩序のつながり、すなわち「社交の大いなる連鎖」を捉えるのです。存在の連鎖を担保する、汎存在者の社交が語られます。
金論文は、いままで日本語で書かれたカント政治思想に関する概論では、もうこれが標準的なものになるんじゃないかな、と感じました。自然状態から共和制、さらにそこから国際連盟へ、と三つの移行が的確に説明されています。『人倫の形而上学・法論』を読むときの導きの糸になりそうです。なるべくカンと用語を離れて書かれているのでリーダビリティも高いです。カント政治思想の盛り上がりを期待します!!
権左論文もカント論文と同様、術語を回避していてリーダビリティが高いです。ヘーゲルの初期の頃の政治的活動や、帝国と領邦国家というドイツの特殊な事情にも触れられていて、歴史的なコンテクストから政治思想をあぶり出していくという手法が(ドイツの分野では)新鮮です。