'14読書日記42冊目 『ヒロシマ・ノート』大江健三郎

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

ドイツの大学院生たちとの研究会で広島へ行くことになったので、良い機会だと思って読んだ。原爆の悲劇から生き延び、闘っている人らの様子が本書の具体的な記述を通して伝わってくる。この本での大江の基本的なモットーは、原爆から生き延び、その後遺症と闘い、病気の解明に取り組み、そして平和へとアピールしようとする、広島の屈強な人らを描き出すということにある。このことは、平和や原爆に党派的な争いを持ち込む左翼の風潮から距離を起き、個人の生き様へと寄り添おうとすることを意味する。例えば、60年代には、広島で行われた原水爆禁止運動では共産党系列、社会党系列といったセクトが動員競争に躍起になり、大会自体も分裂の傾向にあった。広島市民の個人の感情と、社共の政治ゲームとには隔たりが生まれていた。そうしたなかで、大江は広島の個人のそれぞれの闘いぶりを描き出そうとするのである。
戦後20年が経とうとしている広島の人々の様子自体興味深いのは当然であるが、本書はきわどい哲学的な地平へと思考を巡らせてもいる。それは、偏在する自殺の危機とその乗り越えという大江のテーマの1つをなすものである。大江は『われらの時代』でこう書いていた。

俺達は自殺が唯一の行為だと知っている、そしておれたちを自殺からとどめるものは何ひとつない。しかしおれたちは自殺のために跳びこむ勇気を奮いおこすことができない。そこでおれたちは生きてゆく、愛したり憎んだり性交したり政治運動をしたり、同性愛にふけったり殺したり、名誉をえたりする。そしてふと覚醒しては、自殺の機会が眼のまえにあり決断さえすれば充分なのだと気づく。しかしたいていは自殺する勇気をふるいおこせない、そこで遍在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これが俺たちの時代だ。

自分が自分であることを確信する決断のモーメントはただひとつ自殺しかない、しかしその契機にみはられながらそれを実行する勇気を持たずに生きていくしかないということが、両義的な仕方で語られている。対して、ヒロシマ・ノートでは、自殺は原爆症に倦み疲れる人らに偏在する危機である。大江は自殺してしまった幾人もの個人をもちろん断罪しない。彼らは自殺によって原爆に犯された自分の生を終わらせる決断をとったが、それはあまりに人間的な決断である。しかし、自殺の機会に幾度もさらされながらそれでもなお生き延びている人ら、そこから戦っていく人らがいる。大江は両者を比較してその価値を考量するようなことはしない。ただ、後者の人らに勇気づけられているのである。大江は広島で生き延び、闘う人らに励まされる。しかし、こうしたある種のヒューマニズムが政治に付け入る隙を与えてしまうことを大江は見逃さない。アメリカが原爆の威力を知っていながらそれを投下することを決定したとすれば、それはこのヒューマニズムを、つまり原爆によって一切が灰燼に帰すことになるはずの都市からその再建と平和のために戦う人らが必ず現れてくることを見込んでいたからではないか、と言うのである。これは広島にとっての神義論的な問いである。神学的に語るならば、この世に悪が存在することを神が許したのだとすれば、それはこの悪に屈さず、悪と戦うことをやめない善き人らの存在を神が当てにしていたからではないか。もしそうだとすれば、これは広島の人らにとって皮肉すぎる事態であり、アメリカは広島の人らの人間的な力を見込んで悪をなす卑劣すぎる国家である。しかし、核兵器を用いようとする悪には、この人間的な力が対抗させられなければならない。世界に人間的な調和を取り戻せるかどうかは分からないし、もし取り戻そうとするなら卑劣な悪に見込まれた人間的な力にこちら側も賭けるしかない、というのだ。
大江が戦後20年の広島の人らの歩みを辿るなかで自問するように書かれたこのノートの魅力は、こうした哲学的でさえある想像力の行使にあるといえる。出版後約50年たった今もなお本書が読者に訴求する力を持つということ、この事自体ひとつの悲しみではある。2011.3.11を後にしたいま、なおさらアクチュアルであるということさえできる。過去は精算されていないし、されてはいけない。