'14読書日記48冊目 『新ストア主義の国家哲学』山内進

17世紀はホッブズの時代であったのか。本書は、その問いに対して決してそうではない、しかもホッブズが問わなかった重要な問いについて考察した人物がいた、と答える。それはユストゥス・リプシウスJustus Lipsius(1547-1606)というネーデルラント、ドイツで活躍した文献学者・政治学者である。ホッブズは確かに人間の情念、とりわけ恐怖に着目し、社会契約論の論理によって絶対的な国家を構築することに成功した。しかし、筆者いわく「彼は、そのような強力な情念が「公共の権力」の確立後にどう変質するか、という問題には全く着眼しなかった。彼は、リヴァイアサン設立以前には情念について大いに論ずるのに、設立以後はもはやそれに関して何も語らないのである」。国家における人間の情念のあり方、政治と情念の関係、これを最も重要視したのがリプシウスだというわけだ。リプシウスは17世紀にはホッブズやボダン以上によく読まれた人物であったが、当時よく読まれたということ、それはある種の通俗性、平凡さの裏返しの表現でもありえる。必ずしも目新しい、破壊的な新しさを備えたものだけがよく読まれるわけではなく、それ以上に同時代の人々にとって馴染みのこと、親しみのあることについて書かれたもののほうがよく読まれる場合がある。そして、そうした著作はその通俗的な平凡さがゆえに歴史のなかで忘却される。リプシウスはまさにそうした著述家であった。リプシウスをいわば発掘したのは、ドイツの歴史学者ゲルハルト・エスライヒである。エスライヒは、リプシウスを中心とする新ストア主義の思想が、17世紀から18世紀初頭にいたる絶対主義的国家成立期の政治・社会構造に深刻な影響を与えたと主張し、その思想運動の核となる概念として「社会的規律化」を挙げた。要点を言えば、内乱期のヨーロッパにおいて新ストア主義は近代的な戦争・軍隊制度を組織化する原理として機能したが、それは軍隊制度にだけ見られるものではなく、国家の軍事化という側面をも有していた。軍の指揮官に服従し、統率されて闘う近代的な軍隊という理念が、国家内にももち来たらされ、情念を抑制し国家に服従する臣民を構成することになったというのだ。本書は、エスライヒの研究に依拠しつつ、リプシウスの思想を「人間の精神構造と国家構造」という観点から全般的に検討した稀有な成果である。(ほぼ同じ頃に、この論文もある。佐々木毅「政治的思慮についての一考察――J・リプシウスを中心にして――」有賀弘・佐々木毅編『民主主義思想の源流』東京大学出版会、1986、3-31頁。)
民主主義思想の源流

民主主義思想の源流

リプシウスは文献学者として何よりも著名であり、1574年にタキトゥスの著作を校訂・出版することに始まり、リウィウス、カエサルセネカの著作を校訂・出版した。さらに、『恒心論』、『ストア哲学入門』、『ストアの自然哲学』、そして『政治学』を著した。こうした著作は、モンテーニュ、スカリゲル、ウィリアム・バークレー、グロティウス、ホッブズ、ミルトンらに広く読まれていたらしい。統治者たち、例えばアンリ4世や、リシュリューグスタフ・アドルフ、マクシミリアン一世と言った人らがリプシウスの著作を愛読していた。リプシウス自身はウィーン、リュージュ、イェナ、ルーヴァン、レイデンと居所を転々とせざるをえなかった。ヨーロッパを吹き荒れていた内乱のさなか、リプシウスの著作は時にプロテスタントから、時にカトリックから批判にさらされ続けていたのだ。本書はこうしたリプシウスの自伝的歩みとその思想を『恒心論』、『政治学』を中心に論じている。
恒心constantiaは新ストア主義において核となる概念である。ストア派は人間の理性と自然を合致することの中に最大の善、生の最高の目的であると考えた。リプシウスにおいては、しかし、こうした自然と理性の相即的な一致は求められない。アクィナス的な神の摂理への服従として理性を捉えるわけではない。むしろ、リプシウスにおいて理性は判断力、精神の極致である。ストア派が自然と理性との合体において世俗から超越したようなアタラクシアを求めたのに対して、判断力としての理性は正しいものか誤ったものでしかなく、人間は理性に基づいて判断し、行動することが求められる。その行動において、外的なもの・偶然的なものによって左右されない精神の強さ、これこそが恒心となる。恒心は、運命の変転に耐え、それに従うことである。ストアと違って、リプシウスは運命を完全に絶対的なものとは考えなかった。運命は神の摂理から区別されるもので、摂理によって間接的に引き起こされる世俗的・自然的な必然性である。神はあらゆることを予見しているが、それを直接引き起こすわけではない。人間の熟慮・判断・選択が介入する余地が認められる。哲学的に洗練されてはいないけれども、このようにして運命を規定することで、リプシウスの恒心は、ストア派の恒心と違って、理性の適格な判断力によって行為すること、その適格さをもって運命に耐えることを意味するようになる。
『恒心論』が個人の道徳、運命への理性的判断を伴った服従を説くものであったのに対して、『政治学』は国家生活における徳と思慮prudentiaを規定する。筆者は『恒心論』と『政治学』とに共通するものとして、上位の秩序への服従を挙げている。ただ『政治学』では、その服従を可能にする思慮prudentiaが大々的に取り上げられ論じられることになる。思慮とは経験と歴史に基づいて目指すべき事柄を達成し、避けるべき事柄を避ける判断と選択を意味していた。国家的生活vita civilisにおいてもっとも重要なものは、公共善、つまり臣民の利益・安全・安寧である。君主は公共善を得るために統治するが、その際に不可欠なのが思慮である。政治的思慮は、マイネッケが取り上げたことで有名になった国家理性論と結びつきを持つ。マキアヴェリの名とともに、宗教・敬虔抜きの思慮、徳なしの思慮は、専制を意味するもの、国家理性として弾劾されてきた。仮にアクィナスとマキアヴェリの態度を2つの統治論の極に置くなら――つまり一方で神の秩序を地上で実現するものとしての徳を持った思慮論、他方で敬虔や徳はなくてもよいし、宗教はせいぜい臣民の安寧に役立つ限りで求められるとする思慮論――、リプシウスは両極を揺れ動いていたといえる。リプシウスにおいても、アクィナスのように、神が善意志をもって宇宙を統治することと統治者が臣民の公共善のために国家を統治することは、類比的に語られる(統治と船のアレゴリーも用いられる)。しかし、リプシウスにおいて公共善は、個人を超越したものであり、個人をそこに服従させることで、個人の安全と財産を保障するものであり、ここにおいて、思慮は公共善のために徳を無化しても働きうることとなる。つまり、徳なしの思慮も時には許容される。リプシウスがアクィナスとマキアヴェリの両極を動くものであったという観点から興味深いのは、彼の宗教論である。それは、一方でプロテスタントから寛容ではないと批判され、またカトリックからは国家理性論者、マキアヴェリ主義者だとして弾劾された。リプシウスは一国家一宗教を原則とし、宗教的異端に対してそれが騒乱を引き起こす限りで処罰すべきであると主張した。この言明は、宗教戦争の悲惨を避けようとする思慮をなしている。しかし、オランダではこの文言が宗教的弾圧に与するものとして受け取られた。騒乱を引き起こさないのであれば異端的教義を信奉してもよい、という部分は無視されてしまったのだ。他方で、カトリックは寛容派が無視した文言を取り上げて、リプシウスを寛容思想の持ち主だとして『政治学』を禁書扱いにする。カトリックプロテスタントの両者から批判されたというこの事実が、彼の立場をより興味深いものにしているだろう。本書では、リプシウスがむしろマキアヴェリ的な極に近いことが主張されている。というのも、リプシウスが国家において宗教を保護しなければならないと論じたのは、単に敬虔が臣民に服従の態度を学ばせるからという理由からだったからだ。
国家理性論あるいは政治的思慮の概念は、18世紀末にいたるまでドイツ絶対主義的統治論――それはPolizeiの思想として結実するが――を規定したものであった。その意味で、源流を探るべく本書を読んだわけであった。