久しぶりにローティ。彼の政治観はあまり賛成できないのだが――なぜ賛成できないのかうまく
言語化できないので、困ったものだが――
プラグマティズムのある種のラディカル化というか、そのようなものを見届けるために読んだ。というのは嘘で、ガダマー『真理と方法』を読むゼミを昨年度受講していて、その参加者と読書会をしようということになって読んだのだった。ガダマーの真理観はローティと通じるところがあるのではないか、ということだったのである。通じているかどうかは簡単に答えを出せるようなものではないが、少なくともローティが本書の終章で紹介する
ドナルド・デイヴィドソンの真理観とはかなりの程度の類似が認められるのではないかという気がする。ではどこまでが類似していて、どこからが乖離していくのか、というのはまださらなる考察を要するだろうが。本書では、
ロールズの反省的均衡という方法がいかにプラグ
マティスト好みのものかという解釈もされていて、
ロールズ研究をしている人によれば、それは結構妥当な解釈になっているとのこと。だとすると、僕はあまり
ロールズが好きではないことになってしまうので、これも困ったことであるなあ。