脳死=人の死?

(後日、くわしくまとめました。http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20090601/1243870488

インフルエンザや、民主党のゴタゴタの陰で、ニュースには大々的に報じられてはいないが、生命倫理的に見て非常に重大な法案改正が行われようとしている。
それは、臓器移植法の改正案である。
現行法では、脳死した本人が十五歳以上であり、本人と家族の同意がなければ、臓器提供できない、としているが、今回提出される改正案では、「本人の同意なし」に臓器提供が可能になる。
つまり、脳死を死と定義する「本人の同意」+「家族の同意」+「十五歳未満」という限界が全て破棄される可能性さえ出てきている。もっと端的に言えば、脳死=人の死とみなす政治的文脈が形成される可能性がある。
果たして「体温を保ち、脈を打ち、出産も可能で、滑らかな動き(ラザロ徴候)を見せる脳死者」を死人とみなすことができるであろうか。この法案改悪の裏側には、臓器提供を必要とする人々が増加しているというニーズの問題があるが、人の生命をそのような需給の交換法則に当てはめていいのか、ということを考えれば、少なくとも、法案の改正は避けるべきであろう。
現行法でさえ、脳死を人の死と定義すべきかどうかについて満足な判断がなされぬまま、法案が成立してしまった。
事実、この種の生命倫理問題については、普遍的かつ合理的な回答というものは、(ポスト)近代においては、不可能であるが、それでも議論を尽くさぬ前に、単なるニーズの問題として解消されてしまうことには強い抵抗感がある。
詳しくは、生命倫理会議のblogを参照のこと。


生命倫理会議blog
http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/

■移植法新改正案、自民の合同会議が了承
(読売新聞 - 05月14日 13:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=836234&media_id=20

京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009051200204&genre=G1&area=K00