外国人参政権を導入せよ

外国人参政権問題から見えてきたのは、日本の多文化社会への道である。日本社会に一定期間在住する非日本人には、参政権を持つ当然の権利がある。外国人参政権は、それを導入することのメリット/デメリットなどとは問題系を異にする、基本的人権の範疇の、あるいは私にはこの方がしっくり来るが、立憲民主主義的法治国家における根幹を成す重要な課題なのである。それゆえ、じっくりと時間をかけて議論され、日本国内に多文化社会へと開かれていく心持ちが醸成されてから、実行に移されるべきだ、などと悠長なことは言ってはいられないのではないか。革命は「いまだ時期尚早」と呼ばれる時こそが、その火蓋を切って落とす絶対の好機なのだ、とローザ・ルクセンブルグは言っている。

立憲民主主義的法治国家の原則は、そこに所属する成員(市民)が、恣意的な法律や独裁によらず、立法によって支配し・支配される関係にあるということである。そこでは、法規範の内にあって市民は生活を営むのだが、その法規範に従う根本的な理由とは、自らがそれの立法過程にかかわった、つまり政治的な参加を通じてそれが制定された、という民主的な正統性に由来する。市民の持つ政治的自由/権利は、その法の正統性を支えるために欠かすことのできないものであり、同じ社会にともに暮らす人々が法規範に則ることを正当化するには、彼らが分け隔てなく参政権を持ち、政治に参加することが必要となるのだ。

しかし、現状では(1)在日非日本人は、二世、三世の人でさえ、参政権を持っていない。このことは法治国家内部で、市民間にアンバランスな状態を生み出している。(2)参政権を得るためには、日本国籍帰化しなければならないが、その際、現行法では、以前に保持していた国籍を離脱しなければならない。これは、母国や民族のもつアイデンティティーを破壊し、日本に文化的な同化を強いることを意味する。単一民族国民国家ということは、日本においても(アイヌ琉球など含めて)虚構であるにもかかわらず、現行法の理解では、あたかも同一民族による国民国家が前提とされている。

このことを鑑みれば、ある程度(十年くらい?)日本社会に在住した非日本国籍の人であれば、当然その社会的権利として持つべき参政権・市民権が、現状では剥奪されており、立憲民主主義的法治国家という名前は、在日の人々の現状によって、欺瞞めいたものとならざるをえない。外国人参政権反対論者らは、このことが日本の内政干渉に繋がるだとか、日本は滅びるとか、あるいは貧民街ができ、治安が悪化するなどと言うが、それらは全て転倒した議論である。そもそも立憲民主主義的法治国家の精神を破壊している現状がありながら、それに眼をつぶって自国の同質性(これも想像の産物に過ぎないのだ)や安全性を保とうとすることは、しごくご都合主義的な考え方である。