彼らは誰なのか? ジュディス・バトラー

ドイツの新聞がトランプの当選を受けて、アメリカの知識人に寄稿を求めていました。そのなかからバトラーのものを訳しました。重訳になってしまいましたが。
http://www.sueddeutsche.de/kultur/us-wahl-amerikas-intellektuelle-stehen-unter-schock-1.3243193


中道より左のアメリカの投票者は二つの疑問に駆られている。トランプに投票したのは誰なのか、なぜわたしたちはこの結果に備えていなかったのか。「とんでもない」という言葉は、すでに自分が知っている事柄に関する感情におおよそ近いが、私たちは次のことを知らなかった。エリートに対する怒りがどれほど大きく、フェミニズム公民権運動に対する白人男性の憤りがどれほど深いものなのか、経済的な強制接収がどれほど多くの人をぼろぼろにするのか、孤立主義や新しい壁の約束、ナショナリスティックな好戦的態度がどれほど多くの人を励ますものだったのか。これは新しい「ホワイトラッシュ」なのか。白人の人々が残りのアメリカ人に付けを払ったということなのか。そしてなぜ彼らは私たちにこのように不意打ちを食らわしたのか。
ブレクジット後のイギリスのように、世論調査が疑問視されている。誰が質問され、誰がされなかったのか。回答はありのままなのか。投票者の多数が白人男性だったとか、他の肌の色の人々の多くは投票に行かなかったというのは本当なのか。民主党の候補者に新自由主義が引き起こした損失と放埒な資本主義の責任を負わせた、この怒り狂ったニヒリズムじみた公衆は誰なのか。私たちは右派・左派ポピュリズムと女性蔑視についてよく考えてみなければならない。
ヒラリー・クリントンエスタブリッシュメントの政治と同一視されている。その際、彼女に対する根深い怒りを過小評価してはならない。この怨恨は部分的には女性蔑視やオバマへの嫌悪感に由来し、また長くくすぶっていたレイシズムから引火したものだ。トランプは、口うるさい検閲官とみなされたフェミニストに対するこれまでせき止められていた怒りを煽った。それは白人の特権者を脅かす多文化主義に対する怒りであり、トランプが安全性を保証しないと述べた移民に対する怒りである。偽りの強度をともなう空虚なレトリックが勝利を収めた。それは自暴自棄そのものだったが、思っていたよりもはるかに広く蔓延した。誤って「ポスト民族的」とか「ポストフェミニズム的」と呼ばれる世界では、女性蔑視とレイシズムが判断力を飛び越え、民主主義と包摂のための保証さえも飛び越してしまう。サディスティックでルサンチマンにまみれた破壊的な感情がわたしたちの国を支配している。
しかし、私たちは何ものなのか。こうした人々の権力を目の当たりにせず、これら全てを予測していなかった、私たちは。レイシスト的でゼノフォビックな言葉を話し、性的侮辱の歴史を持つ一人の男に人々が投票するであろうなどと理解できなかった私たちは。彼は労働者を搾取し、憲法と移民を軽視し、軍事力強化へのぞんざいな計画を掲げていたのだ。私たちの浮世離れして見える左派リベラルの思考は、真理によって、私たちを守ってくれるのか。そして、政党よりもむしろ抵抗運動を行うために、私たちは何をしなければならないのか。

      • -

ネットで"A Statement from Judith Butler"というものが流れており、この新聞記事とだいたい重なるのですが、最後の方は微妙に食い違っています。ソースがよく分かりません。
http://conversations.e-flux.com/t/a-statement-from-judith-butler/5215