3-14

天気が良かったので、家の近くにある大文字山に登ってきました。
山といっても、30分ほどあれば、送り火が灯される「大」の字のところまでたどり着けます。疎水沿いにはほころび始めた桜もあり、春の気配が漂っていました。登っていても汗をかくほどです。
大文字山からは京都の街が一望できます。雲ひとつない青い空のもと、眼下に広がる街並みを眺めながら、お昼ごはんを食べました。空には、高く高く、トンビのような鳥が飛んでいました。
山頂から見ると、京都には、街中にこんもりとした森が散在しています。大学の裏にある吉田山、京都御所下鴨神社、そしてそれらの間を縫うようにして、鴨川がYの字状に流れています。
僕は、ここに、四年間暮らしたのでした。
先日、実家のある貝塚に帰って親と話をしていて、東京から岸和田まで直行する夜行バスがあるということを聞きました。今までは、京都から東京へ行き、東京から京都に帰ってきていました。しかし、もうこれからは、東京から帰ってくるとしたら京都ではなくて、貝塚なのです。
四年間暮らしたこの街も、あと半月ほどで、僕の街ではなくなります。
街並みや景色は、ごく無機的で、こういう言い方が許されるなら、漂白された空間に思えます。特に、初めて行った場所や知らない場所についてはそういう思いを強くします。誰に対しても中立で、そっけなく、「単なる街」「ただの景色」である、というような。
しかし、実は、この空間、無機的で漂白されているかに見える空間は、実は、いつのときも優しく、強かな性格を持っているのではないでしょうか。あらゆる街や景色は、空間である限り、その性格として、優しく、強かで、包容力のあるものです。
この街を去って、何年か経てば、きっと僕はこの街のことや、この街で出会った人たち、ここで経験したいろいろを忘れてしまうでしょう。もちろん、それはそれで悲しいことではありますが、仕方のないことです。京都を離れたら、東京が自分の街になります。
僕は、いつでも自分が住んでいるところが自分の街になり、それまでいた場所のことを忘れてしまう身勝手な人間の哀愁をとりたてて強調するような、センチメンタリストではありますが、ここではそういうことを言いたいのではありません。
僕が言いたいのは、僕らが、かつて住んでいたところの記憶を失っても、そのときに同じ時間を過ごし、同じ空間にいた人らのことを忘れてしまっても、ただ一つだけ、いつも僕らのことを留めておいてくれているものがあるのではないか、ということです。
それは、空間です。僕らがそこを離れても、その空間には、かつて僕らが振舞ったすべてが重層的に沈殿していき、豊かに色づけられていると思うのです。この街並み、景色、風景、道端、交差点、電車のホーム、スーパーマーケットの駐車場、僕らが生活したあらゆる空間に、僕らのあらゆることが、折り重なって、まるで地層をなすように、静かに目に見えないながらも堆積していくのです。
僕らは、いつか、昔過ごした日々や場所を、すっかり忘れ去っていきます。しかし、それらは確かに空間の中に沈殿していって、僕らが忘れたとしても、空間がその名残を優しく、抱擁し続けてくれるのだと思います。
そして、いつか、僕が何かの折りにその場所を訪れたとき、忘れ去られていた記憶の断片を、古い地層から化石を掘り出すようにして、空間から取り出すでしょう。そして、いつでも、そこが僕の街なのだということを、確かめることができるでしょう。
だから、僕は、もう、この街を、そこですごした日々を、すっかり忘れてしまっても大丈夫なのです。
僕は、もう、忘れてもいいのです。