'11読書日記81冊目 『カントと神 理性信仰・道徳・宗教』宇都宮芳明

カントと神―理性信仰・道徳・宗教

カントと神―理性信仰・道徳・宗教

389p
総計24172p
カントの『純粋理性批判』あるいは『実践理性批判』などを読んで、どうしてもカントには神が必要なかったんじゃないか、自らの道徳法則-定言命法の哲学を理論的に補強するために神概念が出てきているだけで、カントの理性批判は神なしでも済ます世界をつくったのではないか、と一年ほど前思っていた。今ではだいぶその考えも消えつつあるが、やはり神が「要請Postulate」されるというのは信仰ではないのではないか、とも思う。が、他方でカントの統制的理念は信仰以外のなにものでもないような気もする。本書は、カントの批判哲学がどれだけ信仰の問題と密接に結びついていたかを、幅広く検討する。信仰といってもカントの場合は「理性信仰」なのだが。
第三章「実践哲学の構築」の冒頭箇所において本書のエッセンスが要約されているように思う。まず『純粋理性批判』の規準論で見られる実践哲学構築の4つの前提が整理される。
(1)端的に命じる純粋な実践的法則が純粋理性の所産であり、それ以外の法則は実用的法則だということ(2)純粋な道徳書法則が現実に存在することが想定されているということ(3)道徳性の体系と幸福の体系が純粋理性の理念において結びつくことが必然的に想定されねばならないこと(4)道徳性と幸福の合致した体系は賢明な創始者・統治者のもとにある英知的世界二おいて可能であり、それが想定されざるをえないこと。カントはこれら4つの前提においてすべて「想定」しているだけにすぎず、後の道徳的著作においてその想定に根拠が与えられ、正当化されるのだという。『基礎付け』は(1)と(2)を、『実践理性批判』は(3)(4)を根拠付ける。さらに『判断力批判』では神の理説的信仰と道徳的信仰の対比が扱われ、『単なる理性の限界内における宗教』にまでその射程がおよぶ。そして、こうした順序で本書の議論も進んでいくことになる。思うに、本書の幅広い議論の根底にあるのは、次の一節に凝縮されるのではないか。

道徳やそれに繋がる諸問題についてのカントの考察の出発点は、簡単に言えば、道徳法則〔…〕なるものがあり、私はどうしてもそれに従って道徳的に生きなければならない、というカントの根源的な道徳意識である。カントは自分のこの道徳意識が正しいことを確信していたが、しかしこの確信は何らかの理論的な洞察に基づいて獲得されたわけではない。

この「理論的な洞察」がいかに行われたのかが本書では精密に検討されるのである。
筆者の叙述はカントの引用に基づいて為されていて、ときに冗長というかまとまりのない時もあるにはあるが、わかりやすくカントの著作を手元に置きながら勉強するのには最適であると思う。しかし、しかし、しかし、しかし、これだけ大部の専門書であるにもかかわらず事項索引を付けない岩波書店は本当に悪い仕事をしているとしか思えない。考えらへんでほんま