思想史の方法論、スキナー(とポーコック)

大学院のゼミで、思想史の方法論について、特にクェンティン・スキナー(Quentin Skinner)とジョン・ポーコック(John Pocock)のそれについて発表しました。「思想史の方法論、あるいは思想史は何の役に立つのかというぶしつけな問いについて――ケンブリッジの歴史家を中心に――」というものです。博論をかくにあたって、いろいろ方法について、あるいは書き方、大枠のストーリーについて考えていて、一度方法論――とりわけ僕はスキナーのそれに依拠しようと考えているのですが――についてちゃんとまとめてみるかと思ったのでした。当初は、かなりおおまかにまとめて類型化しようかと思ったのですが、書き始めてみると結構細かくなってしまって、割りとしっかりしたもの(だと自負するにすぎないのですが)になったので、発表した原稿をアップロードしてみようかと思いました。よろしければご覧ください。

https://drive.google.com/file/d/0B8wvK6TJPObIOWMxaVBBUHRrM3c/edit?usp=sharing

以下、書き出しだけ。
 1956年、ケンブリッジ大学歴史学の教授であったPeter Laslettは論文集Philosophy, Politics and Societyのintroductionで、次のように書いた。「我々の国の知的生活が持つ想定の一つは、政治哲学者だとみなす人々が我々のなかに存在するはずだ、というものである。[…]今日では、もはやわれわれにはそうした人々が存在しないように思われる。伝統は途絶えたのであり、我々の想定も見当違いのものになった。伝統が再開されようとしているということが見込みのある信念だとみなされない限りは。とにかく、当座、政治哲学は死んでいる。」 ラズレットの言葉は、政治学という分野に遅ればせながら登場した科学主義の隆盛を前にしてのものである。かつて政治哲学として重要性を持って受け止められていたものは、事実と価値の峻別に基づかない非科学的なものとして批判され、それに代わって方法論と経験的な調査に基づく実証主義的なpolitical scienceが主唱されたのである。しかし、もちろん死を宣告された政治哲学は、単に冥府をさまよっていたというわけではない。周知のように、70年代以降、ロールズの『正義論』を起点にして政治哲学の再生が、政治学のサブフィールドとしての「政治理論」の成立が語られ始めた。しかし、ロールズによる政治哲学の再生によってしばしば覆い隠されるのは、political scienceの自立化とはほとんど無関係に、50-60年代のアメリカでは主にドイツからの亡命知識人(アレントフェーゲリンバーリンシュトラウス)(+バークレーのシェルドン・ウォリン)によって政治哲学(あるいは政治理論)が質量共に豊かに展開されていた、ということである。英米系の分析哲学を受容し、political scienceによって言わば認められ、そこに包摂された「政治理論」とは違って、これらの政治哲学は、死を宣告された政治哲学と同様に、政治学の歴史、政治思想史と密接な結び付きを持っていた。political science以前の古典的な政治学において、政治哲学・政治理論とは過去の政治思想の通史を背景に、現代的な諸問題に答えようとする知的営みだった 。そこで前提とされていたのは、古典的なテクストには現代にも通じる普遍的な問題が問われているということだった。
ところで、「当座、政治哲学は死んでいる」と言明したラズレットは、古典的な政治学に対してその科学化ではない別の重要な変化、別の新たな専門化を引き起こすことに貢献した。ラズレットの仕事の一つによって、古典的な政治学が自らの理論の源泉としていた過去のテクストを、真に歴史的に解釈しようとする動き、いわば政治思想史の歴史学化が引き起こされたのである。彼はロバート・フィルマーとジョン・ロックの著作を編集したが、その際に彼は『パトリアーカ』の執筆時期(1630年代)と出版時(1680)のコンテクストを、『統治二論』の執筆時期(早くとも1681)と出版時(1689)のコンテクストを、区分した 。このように書かれた時期と出版された時期を区別し、筆者が書くことによってあるいはテクストが出版されることによって「何を行っているか」に着目することで、ラズレットは「「政治思想」を歴史的なコンテクストにおいて言語の使用者によって遂行された言語行為の多様性として理解すること」の可能性を開いたのである 。ここから、ラズレットが教鞭をとっていたケンブリッジを中心にして、過去の政治思想を歴史学的に研究することへの方法論的自覚と、かつての思想史への批判が多数生み出されることになった。Cambridge schoolが主張するのは、政治思想史が歴史的な研究としてなされるためには、過去の思想家のテクストを一つの行為としてみなし、その行為が当該の歴史的コンテクストにおいてどのような意味を持ったのかを少なくとも理解しようとしなければならない、というものである。政治学の科学化によって古典的な政治学が主張してきた政治思想の通史から価値の問題を取り出してくるやり方が疑問に付されたとすれば、ケンブリッジの方法論の革新は古典的な政治学における通史の構成、過去のテクストの解釈方法に異議を唱えたと言える。それは「古典そのものを根こそぎ抹殺するもの」であり、「かつて実証主義政治学と対決した政治理論はここに至っていわば身内との対決を迫られている」とさえ言われうるインパクトを持った 。
本稿では、こうしたケンブリッジ学派の中心人物であるQuentin Skinner(とJohn Pocock)の思想史の方法論を再検討し、政治思想史の歴史学化がもたらした問題について考えてみたい。問題というのは、お決まりの不愉快な言い方になるが、そのように歴史学化した思想史はなんのために存在するのか、思想史は政治学・政治哲学にとってどのような意義を持つのか、というものである。政治学の科学化によって、政治哲学とpolitical scienceの関係が問題になったとすれば、政治思想史の歴史学化によって、政治哲学と政治思想史の関係が問題となる。ジャンル分けが瑣末な議論にすぎないことを知りつつ敢えて問えば、政治思想史というジャンルは政治学の分野に属するのか、それとも歴史学の分野に属するのか(ケンブリッジ大学では歴史学部の中にpolitical thought and intellectual historyの講座が設けられている)。もし政治学の分野に属するのだとすれば、それは(先行研究の積み重ねとしての)学説史以上の意味を持つのか。それ以上の意味を持つとすれば、それはどのような意味か。あるいは政治思想史が歴史学に属するのだとすれば、そうした歴史は何のために学ばれなければならないのか。