07読書日記63冊目 「われらの時代」大江健三郎

われらの時代 (新潮文庫)

われらの時代 (新潮文庫)

何か分からんけど、三冊買ってしまっていた「われらの時代」。

戦後の学生運動に現実性を見出すこともせず、ただ絶望ゲームに身を窶してばかりいる少年ら。なんとも23歳でこれを書いてしまったところが、感服する。天才に年齢は関係ないのだろう。

絶望や退廃がすぐそこにあり、学生運動の<ゲーム>に、あるいはそれらの<連体>に身をゆだねる勇気を持たず、娼婦との性的に汚わいに満ちた生活を送る日々。そこから抜け出すことのできる唯一の手段であったフランスへの出発も、クライマクスへと導かれるにつれて圧倒的に折りたたむポリフォニックな文体に加速され、アンチ・クライマクスへと萎み終わる。

ストーリー性に富み、かつ、性的描写のグロティシズム、あるいは無限に連鎖される自己没入と自己逃避、それらの永劫回帰によって高められていく緊張が、風呂の中でぬるま湯につかりながら(ああ、これは実質的なメタファーだ!)読みすすめた私の肌を震わせる。

 大江はその解説で、この「われらの時代」が批評家からの轟々たる悪評を浴びたと書き、それと戦い続けてきたのだ、と続けた。それは本文以上に大いに俺を奮わせるものだった。

 

 引用

みずから頭を突っ込む、s'engagerする、このフランス語の代名動詞を、また連帯solidariteという名詞を、おれたちフランス文学科の学生はよく使った、それらは俺たちの教室での流行語だった。しかし、おれたちはs'engagerともsolidariteともまったく関係のない生活を送ってきたのだ。俺たちの存在とまったく逆の領域にある言葉、概念、それをおれたちはまるで親しい言葉、概念のように口にのぼせていたのだ。絶望あそびが嫌らしいように、あの俺たちの本質と無関係な言葉の濫用も厭らしさのきわみだったのだ

 

引用

俺達は自殺が唯一の行為だと知っている、そしておれたちを自殺からとどめるものは何ひとつない。しかしおれたちは自殺のために跳びこむ勇気を奮いおこすことができない。そこでおれたちは生きてゆく、愛したり憎んだり性交したり政治運動をしたり、同性愛にふけったり殺したり、名誉をえたりする。そしてふと覚醒しては、自殺の機会が眼のまえにあり決断さえすれば充分なのだと気づく。しかしたいていは自殺する勇気をふるいおこせない、そこで遍在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これが俺たちの時代だ

 

 

 遍在する自殺の機会、それは現代においても成立する事態だ。手を伸ばせばすぐ跳びこむことのできる深淵に気づいていながら、それに気づくだけ、それを気づくことを決断するだけで、実際には跳びこむことをせず、生きてゆく、それはまさしく、今現在にあっても、勇敢な振る舞いであるだろう。それは恥辱ではない。生は恥辱ではない。

 

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 総計17879p