'10読書日記71冊目 『臨床医学の誕生』ミシェル・フーコー

臨床医学の誕生

臨床医学の誕生

316p
総計21763p
フーコー前期の作品。具体的に言えば、『狂気の歴史』と『言葉と物』のあいだ。率直な感想としては、『言葉と物』も相当に読むのに難渋したが、これはそれ以上かもしれない、ということ。特に序章から前半部はかなり厳しい。眼差しの比喩表現が多用され、それが古典主義・18C表象・19C「人間」の誕生という『言葉と物』図式とある程度符合するのだろうと見当はつけながらも、それでもあんまり意味が分からない。困った(しかし、そもそも僕は『言葉と物』をちゃんと理解していないからそれに所以するのかもorz)。実際、これは『狂気の歴史』から『言葉と物』へと架橋するようなものなのかもしれない。例えば、『狂気の歴史』でも問われたような正常(健康)/異常(病気)の区分の制定と、前者の価値上昇という議論が、本書の前半に登場する。また、後半には、ビシャの登場により、臨床医学が死体解剖を通じて、死から生と病を捉え返し、「個人」を発見するというストーリーがある。にしても、そのようなフーコー作品史には組みつくせない余剰が、『臨床医学の誕生』にはあるように思われる。第一に、「まなざし」と知との関係を執念深く追い続ける様は、『言葉と物』よりも徹底しているように見える。そして、それゆえに難解である。第二に、本書は『言葉と物』への架橋でありながらも、むしろ後者よりも根源的な、というか哲学的(存在論が哲学のすべてであるとするなら)なようでさえある。つまり、医学にとっての死が忌避され無用のものであった時代から、死をもってから「個体」の「生」を練り上げていく医学の時代へと、議論は進んでいく。

ルネサンスの昔から十八世紀末に至るまで、生命に関する認識は生命の円環の中にとじこめられていた。生命は自分自身の上に身をかがめ、自分の姿に見入っていたのである。ところがビシャ以来、この認識は生命との関係において位置をずらし、死という越えることのできない境界線によって生命から分けへだてられ、死という鏡の中で生命を眺めるわけである。(p201)

臨床解剖学以来、全医学を支配する構造とは、「知覚にして同時に認識論的な構造」であり、「不可視な可視性の構造」にほかならない。ここで言われていることは後に『言葉と物』で19Cの知として位置づけられるものの原初形態だろう。しかし『言葉と物』で、フーコーはまなざしと真理の関係をそこまで問うていただろうか。むしろ言説と真理の関係が取りざたされたのではなかったか。だが、もちろん『言葉と物』においてもまなざしは重要な役割を与えられていた。それはベラスケスの「ラス・メニナス」の分析において明らかだろう。だが、それは傍証的としてある、というより潜在してしまっている。だが、『臨床医学の誕生』においては、まなざしが重要なモティーフとなって、医学との関係において露わだ。例えば、次のような言い回しにおいて。

真理とは、本来の権利からして、眼のためにできているものだが、しかしそれは眼から隠されている。ところがそれは、眼から逃れようと試みるものによって、たちまち、こっそりとあらわにされてしまう。認識は、いくつもの被いのはたらきによって発展するものである。(pp226-227、一部訳語変更)

「眼から逃れようと」する「いくつもの被い」とは、まさに見ることのできないものに他ならない。18Cの臨床医学においては徴候(シーニュ)はただ可視的なもの、症状でしかなかった。しかし19Cの解剖=臨床医学的経験において、シーニュは損傷を意味し、それは医学的な諸々の検査(打診、触診、聴診etc)において形象と意味を与えられるものになる。これらの徴候は、病気が自然な形で現れているのではない。むしろ、生きた肉体の上に、解剖=臨床学的知を投影することで露出される。真理は、視覚から逃れ去ろうとする、触覚と聴覚において明らかにされるのだ。

医学的なまなざしは、このように武装すると、「まなざし」ということばだけが物語る以上のものをふくむことになる。このまなざしは、さまざまな感覚領域を単一な構造の中に押しこんでしまう。視覚―触覚―聴覚の三位一体は、一つの知覚的な布置を規定する。ここでは、到達しにくい疾患が、諸座標によって追跡され、深さにおいて測量され、表面に引きずり出され、屍体に散在する諸器官の上に実質上、投影されてしまう。〔…〕こうして、医学的まなざしは、今後、多感覚的構造を賦与される。このまなざしは触れ、聞き、その上、本質や必然性からではなく、見るのである。(pp224-225、訳語一部変更)

こうして、三つの知覚要素が認識へと統合されることになる。医学的な「視線」は、単なる「視線」から逃れようとする感覚を捉える。医学的なまなざしは二重化されているだろう。すなわち、局所的に端的に視覚という意味での「まなざし」が一方にあり、しかし、すべての知覚-経験を支配し統合する認識論的な「まなざし」が他方にある。だが、しかし、こうして二重化されたまなざしが見るものは、何か。屍体解剖でえた知覚的経験からでさえまなざそうとするものは、何か。「闇のカーテン」によって被い隠されるものとは何か。それは「真理」である。そして、

逆説的にも、それが生命なのである。そして死とは、これと反対に、身体の黒い箱の蓋を陽の光へと開くものである。暗い生、透明な死。〔…〕19世紀医学は、生を屍体化するこの絶対的な眼につきまとわれた。この眼は、生命のもろい葉脈の砕けたものを、屍体の中で再発見するものである。(pp227)

さらに、この医学的まなざしは、「症例」の意味するところの変化によって、さらなる真理をまなざそうとする。かつて臨床医学において「症例」は重要視されてはいなかった。それは、病気の偶発的な要素を中和するもの、個別的で特殊な事例の差を曖昧にするものとして存在した。無数の個別的な偶発事項の中に、同系列・同質なのものを見出し、それらを無限に一致させようとするものこそ、臨床医学であった。しかし、屍体解剖をするようになってみると、はじめて病気の構造の中に、個人的変化というものが、偶発事項などではないことが明らかになるのである。そこでは、病気の個別的形態こそが、むしろ問題になる。生体内部に隠され、諸症状が交錯することで曖昧になり、そして個別的な事象であるがために適切に表現しにくい、不可視的なるものが、クローズアップされる。だが、解剖=臨床医学は、この不可視的なるものを、知覚的経験のまなざしの至高の力によって、暴き出してしまうのだ。フーコーは、症例鑑別の解読に用いられる言語が、「質的な洗練」へむかって開かれ、「より具体的で、より個別的で、より忠実に物の形に沿う」ように洗練されていく様子を描いている。その言葉は「鋭い、忍耐強い、少しずつかじっていくような言葉」である。ついに、二重性を帯びた解剖=臨床医学のまなざしは、真理-生命-個人を捉えるにいたったのだ。

ルネサンスの頃は、死は還元的な意味を担っていた。つまり、死の普遍的なはたらきによって、運命や、富や、身分の差はかき消された。死は否応なしに、各人をすべての人のもとに、引きよせた。骸骨の乱舞は、生の裏側で、一種の平等主義的な無礼講をかたどっていた。死は、間違いなく、運命のうめあわせをしたのである。ところが今や、死は反対に、独自性をつくるものであった。個人が単調な生活や、その平均化からのがれて、自分自身に再びむすびつくのは、まさに死においてのことなのであった。(pp233-234)

死はその悲劇的な、古い空を去った。今やそれは人間の抒情的な中核となった。すなわち、人間の不可視的な真実となり、可視的な秘密となったのである。(p234)