'10読書日記86冊目 『マゾッホとサド』ジル・ドゥルーズ

マゾッホとサド (晶文社クラシックス)

マゾッホとサド (晶文社クラシックス)

215p
総計26677p
一般的に、サディストとマゾヒストは相互補完的な倒錯者だと思われている。あなたはSであるかMであるか、という問いは、同時に暗黙の内に、SとMの好一致への期待をひそませている。しかし、ドゥルーズは、その一般通念的な常識(そして精神分析学における常識)を覆そうと試みていく。サディズムマゾヒズムを同一視するよう議論の多くは、倒錯者らが快楽の前提と為す苦痛を共約分数にして考えているが、そうではないというのだ。そうではなく、サディズムマゾヒズムに特有の形態学的な特徴が見出されるのである。簡潔に書けば、サディズムの形態が、スピノザ的な(孤独の)推論、制度、自我の欠如(超自我でしかない存在)というキーワードで捉えられる一方、マゾヒズムのそれは弁証法的想像力、契約、超自我の欠如(自我でしかない存在)である。
僕は、サド侯爵の小説も読んだこともなければ(それは三冊ほど積読にあるが)、マゾッホの小説も読んだこともない(積読にさえない)。しかし、ドゥルーズの議論は、解説で蓮實重彦も書いていることだが、明瞭で分かりやすい。これはもちろん、ある種の文学論ではあるし、それ以上に精神分析について割かれた箇所も多い(サディズムマゾヒズム精神分析が倒錯として扱う領域だから当然のことだ)。とはいえ、哲学的な刺激に満ちた本になっている。例えば、この本と(この本にはほとんど議論されない)自由を交錯させてみたらどうだろうか。サディストとマゾヒストは、どちらが自由なのだろうか。