'15読書日記37冊目 『プーフェンドルフの政治思想』前田俊文

プーフェンドルフの政治思想―比較思想史的研究 (久留米大学法政叢書 (12))

プーフェンドルフの政治思想―比較思想史的研究 (久留米大学法政叢書 (12))

日本の社会思想史では近代の自由民主主義を用意した自然法論-社会契約論の系譜(ホッブズ、ロック、そしてルソー)の影に隠れて、大陸系自然法論の系譜(グロティウス、プーフェンドルフ、ヴォルフ、トマジウス)はあまり扱われてこなかった。後者はせいぜい啓蒙絶対主義のイデオロギーを支えたと理解されることが多かった。本書は、後者、大陸の自然法論の立役者であるプーフェンドルフを取り上げ、17-18世紀において彼の『自然法と万民法』や『自然法に基づく人間および市民の義務』がいかに影響力を持ったのかを立証している。ロックはプーフェンドルフを当然のごとく読んでいた。プーフェンドルフの著作はスコットランド啓蒙の産まれた地グラスゴー大学において道徳哲学講座を担ったガーショム・カーマイケルに注釈され、フランシス・ハチソン、ヒュームへと批判的に受け継がれていった。またルソーは明らかにバルベイラックの翻訳を通じてプーフェンドルフを読んでいた。
プーフェンドルフは、年譜的に言えばホッブズとロックのあいだに位置している。彼はホッブズの自然状態論が与えた衝撃に対して、自然状態においても社会は存在する(しかし人間本性として、つまりゾーン・ポリティコンとしてではなく)ことを前提として、社会契約論を組み立てた。ホッブズでは所有権の問題はあまり扱われないが、グロティウスから学んだプーフェンドルフは自然状態において、所有権の発生を人々の合意に求める。プーフェンドルフの合意説に対して、ロックは労働所有説を唱え、個人の自由と所有を労働を介して結びつけた。また、プーフェンドルフは自然法の内容を脱神学化(本書で言えば「世俗化」)し、此岸における行為の外面性にのみ妥当するものとし、内面の倫理性を啓示宗教(聖書)に依拠させ、法の及ぶ範囲を区分した。ホッブズの衝撃を受け止めつつ、(通常の道徳的直観とでも言うべきものにおいて)より納得しやすい自然法論・契約論を打ち立てたという評価が可能だろう。ホッブズのあまりに利己的で自己破壊的な人間像の衝撃は大きく、スコットランド啓蒙の著作家らがそれへの対抗のなかで自説を展開したということは知られているが、彼らのなかでプーフェンドルフが広く読まれたのも頷ける。ただし、プーフェンドルフが自然法を理性によって理解可能なものとしたのに対して、カーマイケルやハチスンは自然法学と自然神学をかなり近づける。カント研究者にとってみれば、しかしこの修正は非常に興味深い。ハチスンは、道徳哲学を自然の意図(the intention of nature)に適った生活へと人間を導くものと捉えていたが、これはカント研究者からすると瞠目すべきことで、プーフェンドルフの残響がスコットランド啓蒙を通じて「世界市民的見地における普遍史の理念」にまで及んでいる、ととりあえず言えるだろう。なんとなれば、自然状態における人間の社会性というプーフェンドルフの議論が、自然神学的修正を経て、カントの「非社交的社交性」(これは自然が意図したことだとカントは言う)にまで行き着くのだ。
本書は、こうしたプーフェンドルフの政治思想のコアを、ホッブズやロック、ライプニッツらとの比較――比較思想史――において描き出す。プーフェンドルフの著作は『自然法に基づく人間および市民の義務』が翻訳されると数年前に聞いて以来どうなっているのかわからず、日本でもあまり知られているようには思えないが、自然法論の歴史においては重大人物であり、カントの自然法論(私法論、つまり所有権論)の歴史的位置を見極める場合にも重要になってくる。この前某先生もおっしゃっていたが、極めて論理的かつ明快に書かれているらしく、ホッブズやロックをプーフェンドルフの側から眺めてみるということも益の多いことだろう。その意味で本書は、ドイツでの同時代人ライプニッツの思考スタイルとの対決や、広く文芸共和国ヨーロッパにおけるホッブズやロック、カーマイケル、ハチソンらとの対比がトピックごとになされており、プーフェンドルフにとどまらず自然法論・社会契約論の類型を理解する上でも貴重な仕事である。ただ、プーフェンドルフの自然状態において社会が前提となっているということのうちに、のちのスコットランド啓蒙の市民社会論の淵源となるものを見出そうとするあまり、プーフェンドルフにも「市民社会論」が存在した、という議論を立ててしまっており、アナクロニズム感もある。プーフェンドルフがsocietas civilisという場合にはもちろん国家を意味しており、自然状態での市民社会というのは語義矛盾であっただろう。市民社会概念を操作的に定義して分析概念として用いるのであればいいのかもしれないが…。

第一章 プーフェンドルフの社会契約思想――ホッブズ、ロックとの比較を中心に
第二章 プーフェンドルフとライプニッツ――17世紀ドイツにおける自然法・国家思想の二類型
第三章 プーフェンドルフとカーマイケル――グラスゴウ大学「道徳哲学」講座における大陸自然法学の批判的受容
第四章 プーフェンドルフとハチスン――自然法学体系と社会契約説の比較考察
第五章 プーフェンドルフとヒューム――自然法の道徳的拘束力の根拠としての公共的効用について
補論一 プーフェンドルフの思想史的位置づけについて
補論二 プーフェンドルフの『ドイツ帝国国制論』について

本書は2004年に刊行されているが、個々の章はもう少し前に書かれたものである。本書の刊行以後、海外では大陸自然法学に関する研究も深まりを見せつつあるように思う。
例えば、最近邦訳が出た次の書物(98年原著)ではプーフェンドルフに一章が割かれ、トマジウスやライプニッツ、さらにヴォルフとクルジウスについても扱われている(それはカントへの道標という点から重要視されているのではあろうが)。

自律の創成: 近代道徳哲学史 (叢書・ウニベルシタス)

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イシュトファン・ホントの研究も社交性概念に着目し、プーフェンドルフからスコットランド啓蒙への継承を議論している。

貿易の嫉妬―国際競争と国民国家の歴史的展望

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また

Natural Law and Moral Philosophy: From Grotius to the Scottish Enlightenment

Natural Law and Moral Philosophy: From Grotius to the Scottish Enlightenment

は、ヒューム・スミス研究の古典『立法者の科学』の著者によるものだが、本書の第三章・四章にあたる部分を扱っている。
ハーコンセンは近年の研究の進展を踏まえて"German Natural Law"という論文を書いており、これは簡便にトマジウス、ヴォルフ、カントの議論が追えるものになっている。
The Cambridge History of Eighteenth-Century Political Thought (The Cambridge History of Political Thought)

The Cambridge History of Eighteenth-Century Political Thought (The Cambridge History of Political Thought)

ハーコンセンはグロティウスからルソー、カントまでの代表的研究を集めた論集も出している。
Grotius, Pufendorf and Modern Natural Law (The International Library of Critical Essays in the History of Philosophy, 1)

Grotius, Pufendorf and Modern Natural Law (The International Library of Critical Essays in the History of Philosophy, 1)

Ideas in Contextシリーズのなかには、プーフェンドルフの折衷主義eclecticismが同時代の思想史的コンテクストからすれば方法論的革新を含むものであったこと、その方法が「大陸自然法学」のなかで、つまりトマジウス、ヴォルフにおいてどのように批判されたり継承されたりしていくのか、ということを追った研究書もある。この書物の白眉はドイツにおける同時代のテクストをふんだんに利用し、思想のコンテクストをおさえたうえでプーフェンドルフ、トマジウス、ヴォルフらが行った論争を描き出している点だろう。おそらく英語文献では大陸自然法学のスタンダード的書物になっている、と言えるのではないか。

Natural Law Theories in the Early Enlightenment (Ideas in Context)

Natural Law Theories in the Early Enlightenment (Ideas in Context)

イアン・ハンターの本は、自然法論のみならず方法論や哲学的人間学などの広い話題において、ライプニッツ・ヴォルフ・カントの理性主義ラインと、プーフェンドルフ・トマジウスの経験主義ラインという二つのライヴァル啓蒙があったとする明白なテーゼを提示している。かなり強引なカント解釈も含むが(それへの批判もある)、従来の前者の理性主義だけを啓蒙とみなす観点を相対化するうえでは面白いものだろう。プーフェンドルフを思想的・方法論的に継承したのはトマジウスだが、こちらも主にハンターの紹介により最近英米圏では知られつつある。

Rival Enlightenments (Ideas in Context)

Rival Enlightenments (Ideas in Context)

Natural Law and Civil Sovereignty: Moral Right and State Authority in Early Modern Political Thought

Natural Law and Civil Sovereignty: Moral Right and State Authority in Early Modern Political Thought

最近でもハンターはドイツ自然法論を扱った概説を次のコンパニオンに載せている。基本的にハンターの思想史の構図は一貫していて、カントは後の歴史解釈によってドイツ啓蒙を代表する思想家になったにすぎず、同時代としてみれば他の潮流も重要なものとして存在していた、というものである。後者の方は、誰もあまりやりたがらない仕事なので、重宝がられている感がある。

ドイツ語圏で戦後の自然法研究といえば、とりあえず次を外すことはできない。
Diethelm Klippel, Politische Freiheit und Freiheitsrechte im deutschen Naturrecht des 18. Jahrhunderts, Paderborn: Schöningh, 1976.
クリッペルはいろんな論集にドイツの自然法論や政治思想についての(同じような)論文をたくさん書いている。
次も、プーフェンドルフからカント、そしてカント以後、フォイエルバッハからヴェーバーまで(!)を包括に扱った概説書になっている。

Die Naturrechtsdebatte: Geschichte der Obligatio von 17. bis 20. Jahrhundert

Die Naturrechtsdebatte: Geschichte der Obligatio von 17. bis 20. Jahrhundert