'10読書日記67冊目 『フーコー:他のように考え、そして生きるために』神崎繁

126p
総計20668p
フーコーの入門書を読むのは初めてだが、この本は、サブタイトルにもあるように、フーコー後期から晩年の思索を、フーコー全体の中に位置づけようとするものである。社会思想系のフーコー本とは違って『監獄の誕生』と『知への意志』にはあまり触れられてはおらず、中心になるのは『言葉と物』である。フーコーデカルト、カント、ハイデガーカッシーラーメルロ=ポンティニーチェらを横断しながら、影響関係を整理してあり新鮮だった。どこかで(マーティン・ジェイだったか?)フーコーはフランス哲学における「視覚」の哲学の系譜に位置しており、それに無自覚だった、という批判を見た気がするが、確かにそうも言えそうだ。面白かったのは、フーコーのベラスケス『侍女たち』の読解の解説部分。『言葉と物』の最初に置かれたこの論文は古典主義時代の表象のメタファーとして取り上げられているはずで、非常に面白いのだが、全体の関連としては分かりにくい。そのあたりを、ハイデガーの影響とともに読み込みながらの解説は興味深く妥当性も持つように思われた。
ただ、第三章で触れられる問い――フーコーは晩年にいたって主体へと結局は回帰してしまったのではないか――には十全に答えられていないように思われる。フーコーがどうして「作者」であることを拒み、「他のように考え、そして生きるために」、晩年に古代ギリシアの「生存の美学」「自己への配慮」を取り上げ、あたかもそれが近代権力への反操行であるかに言及したのか(フーコー自身は、それはオルタナティブなどではないと言っているものの)。その問いはやはり消えなかった。