'12読書日記17冊目 『これがニーチェだ』永井均

- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/05/20
- メディア: 新書
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総計4663p
永井はニーチェの思想的宇宙を三つの空間に分ける。トポロジーのメタファーでニーチェを捉えること、このことさえある意味で画期的だろう。
第一空間は道徳(キリスト教)批判として、系譜学が中心にある。既存の道徳は、ルサンチマンに彩られた蓄群(Herd)が高貴な者らを貶めるために持ちだしたものであり、それは力への意志にほかならない。系譜学は、常識的に考えられていたことを誠実に問い詰め、その裏の顔を暴きだてる。
第二空間は、系譜学的探求によって明らかになった真理の裏側に存在する力への意志を世界の生成原理だと捉え返す、パースペクティブ主義である。世界は多様な解釈に開かれており、その解釈のそれぞれが固有の真理を、さらにはその背景に力への意志を潜伏させている。第二空間に固有のモーメントは、多元主義ないしは相対主義へと開かれていく過程で力というものが生成原理として実体化されてしまうところにある。ニーチェは形而上学批判をしながら、まさに形而上学に落ちていかざるをえない。だが、さらに問題は生じる。第一空間において暴露された系譜学的真実は、第二空間に包摂されるや、キリスト教道徳に対する優位性を剥奪されてしまうのだ。
永井均は、こうした隘路に対して、ニーチェの第三空間に救いを求める。そこでは世界に対してあるいは自己に対して、肯定しようとも否定しようとも思わない脆弱な意志、何をも望まない(それがゆえに全肯定されている)意志について考察が加えられる。何についても理想を持たず、子供のように無邪気に無心に何かに取り組んでいること、この状態でありうるときにのみ第一空間と第二空間の葛藤は止揚(?)されるというのだ。(とはいえこのあたりの議論は、わかりにくい。この本を読んでも、僕は永遠回帰についてよく分からなかった。わからなくなっている理由もぼんやり想像はつくが・・・。)
ところで、興味深いのは、第一空間と第二空間が相克し隘路に陥る中で、筆者が次のように指摘していることである。
すべては解釈であるというパースペクティヴ主義の真理性は、本来、語られることではなく示されることなのだ。〔…〕実際に別の解釈を提示し、真理とされていた解釈を実際に凌駕してみせるという実践のうちに「どんな認識も解釈である」という真理性がおのずと示されるのである。だが、そこに示されることを「どんな認識も解釈である」というメタ言明のかたちで語ってしまえば、その時には実践のうちに示されていたのとは別の、それ以上のことが主張されてしまうだろう。〔…〕本来、第二空間は語られるべきことではなく、第一空間の実践のうちにその真理性がおのずと示されるべきものなのだ。